日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正20年1月吉川広家宛豊臣秀次朱印状を読む その1

    条々

一、唐入に付而、御在陣中、侍、中間、小者、あらし

  子、人夫以下に至迄、かけ落仕輩於有之者、其

  身の事者不及申、一類并相拘置在所、可被加御成

  敗、但雖為類親、告しらす*1にをいては、其も

  の一人可被成御赦免、

  縦使として罷帰候とも、其主人*2慥なる墨付*3於無之

  者、可為罪科事、

     『大日本古文書』吉川家文書之一、125号文書、92~93頁

https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/05/0901/0091?m=all&s=0091

    なお同内容のものが浅野家文書260号文書にも見える  

https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/05/0201/0459?m=all&s=0459&n=20

  

(書き下し文)

     条々

ひとつ、唐入について、御在陣中、侍、中間、小者、あらし子、人夫以下にいたるまで、欠落仕る輩これあるにおいては、その身のことは申すにおよばず、一類ならびに相拘え置く在所、御成敗を加えらるべし、ただし類親たるといえども、告げ知らすにおいては、そのもの一人御赦免ならるべし、

たとい使として罷り帰り候とも、その主人たしかなる墨み付きこれなきにおいては、罪科たるべきこと、

 

(大意)

     条々

ひとつ、大陸出兵にあたって、在陣中、侍・中間・小者・荒し子・人夫以下にいたるまで、欠落する者がいたなら、その者は当然として、血縁者すべてと隠し置いた郷村を成敗する。ただし、密告した場合は親類であっても当人一人だけ赦免する。

たとえ、使者として帰村したとしても、その者の主人の保証がない場合は欠落と同様罪科とする。

 

唐入の準備のため人員を確保するよう各大名に命じた掟書と思われる。出兵には戦闘員として「侍」、非戦闘員として「中間」から「人夫以下」を必要とするが*4、彼らが郷村から欠落することを防止する必要がある。現実には逃散・欠落があとを絶たなかったのだろう。

 

先日発見された藤堂高虎小堀正一書状にも「民」として「百性・町人・奉公人」と見える。

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*1:告知

*2:侍~人夫として仕える主人

*3:文書、お墨付き

*4:彼らを「奉公人」と総称していたらしい。なお藤井讓治「身分としての奉公人」(織豊期研究会編『織豊期研究の現在』岩田書院、2017年所収)を参照されたい