日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

年未詳5月3日島津義弘宛浅野長政・稲葉重通連署状を読む

 

為(闕字)御意*1申入候、各在高麗奉公人下〻*2、自然*3退屈*4候而走*5候者も可有之候条、左様之族、聞付次第可有成敗候、若勾置、何角違乱之輩於有之者、可被申上候、急度可被(闕字)仰付旨、以御朱印被(闕字)仰出候、其御心得尤存候、恐惶謹言、

          浅野弾正少弼

   五月三日        長政(花押)

          稲葉兵庫頭

               重通(花押)

    羽柴薩摩侍従殿*6

         御陣所

 

                     「島津家文書之四」1751号、213~214頁

 

(書き下し文)

御意として申し入れ候、おのおの高麗にある奉公人下〻、自然退屈候て走り候者もこれあるべく候条、左様の族、聞き付け次第成敗あるべく候、もし勾え置き、なにかと違乱の輩これあるにおいては、申し上げらるべく候、急度仰せ付けらるべき旨、御朱印をもって仰せ出だされ候、その御心得もっともに存じ候、恐惶謹言、

 

(大意)

秀吉様のお考えとして申し入れます。それぞれの陣中の奉公人が戦場ですべき義務を怠り、逃亡する者も現れていることについて、こうした者がいたならば見聞き次第成敗しなさい。もし、奉公人の中であれこれという者は、上申してください。かならず成敗されるとの朱印状が出されるでしょうから、その点お含み置きください。謹んで申し上げました。

 

年未詳であるが、文禄2年ころの状況であろう。「奉公人下〻」と呼ばれる者たちが現地で多数逃亡している様子がうかがえる。また徴発に応じた者の中にも「なにかと違乱の輩」がいたようで、秀吉軍の士気は必ずしも高くなかったようだ。

*1:秀吉の意思

*2:戦闘員・非戦闘員

*3:万一

*4:すべきことをしない

*5:逃亡

*6:島津義弘