日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正13年5月4日黒田孝高宛羽柴秀吉朱印状を読む

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             2014年NHK大河ドラマ特別展「軍師官兵衛」展示図録、93号文書、90頁

 

 (折紙)
急度申遣候仍
長曽我部為成
敗至尓四国来
月三日此方*1出馬
渡海候成其意*2
其以前も為先
勢淡州*3へ可有
着岸候聊不可
有由段者也
 五月四日*4 秀吉(朱印)
  黒田官兵衛尉殿

 

(書き下し文)

急度申し遣わし候、よって長曽我部成敗のため四国にいたり、来月三日此方出馬・渡海候、その意をなし、それ以前も先勢として、淡州へ着岸あるべく候、いささかも由段あるべからざるものなり、

 

(大意)

必ず申し遣わします。長曽我部攻めのため四国に到着し、来月3日黒田勢我が本軍が出馬・渡海します。そのためにも、6月3日以前に淡路国へ到着しなさい。少しも油断することのないようにすること。

 

四国攻めを命じる朱印状である。

 

興味深いのは、図録の解説(215頁)にあるように、差出が「実名(ジツミョウ)+朱印」となっているところである。前後を比較してみよう*5

 

天正11年3月晦日羽柴秀長宛書状、86号、「実名+花押」

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天正11年8月28日黒田孝高宛掟書、87号文書、「官職+花押」

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天正13年5月4日、本文書、「実名+朱印」

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天正15年7月3日黒田孝高宛朱印状、97号文書、「朱印」のみ

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充所の位置も上から下へ徐々に下がっていく様子も明白で、薄礼化していく過程が見て取れる。関白叙任など政治的地位の変化にともない、文書の書式が変化する典型といえる。

 

これは孝高との関係だけでなく、その他の家臣や大名にも見られる変化である。

 

ところでドラマ「軍師官兵衛」の世界では、秀吉が「天下惣無事」と大見得を切るシーンがあり、道薫こと荒木村重が「天下惣無事など・・・」と吐き捨てる場面が印象的である。しかしこれではいかにも「惣無事令」が発布されたという誤解を招きかねない演出である。史料的に刀狩令や海賊禁止令は確認できるが、「多聞院日記」中に見える「喧嘩停止令」や「惣無事令」は未確認であり、論争中である。秀吉が「私戦」を禁じたのは事実で、それを「惣無事」と呼ぶことは問題ないが、それと「惣無事令」が存在することとは別問題である。むろん演出上、そうした設定の方が効果的なのだろうが、番組の終わりに「官兵衛紀行」という一見史実の解説のようだが、不正確な情報*6が語られることとともに、誤解や俗説を再生産している点は問題であろう。

 

 

四国攻めの概略図は次の通りである。 

 

播磨・南海道概略図

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*1:黒田孝高を指す秀吉軍

*2:注力する秀吉の意思を体現すること、四国を攻略するという意思

*3:淡路国

*4:天正13年

*5:以下文書番号は同図録のもの

*6:たとえば上記秀長宛書状を「勘兵衛宛」とするなど