明治以降、東京・大阪・京都を「府」とし(1943年に「東京府東京市」は「東京都」に発展的解消)他を「道」「県」とすると通常説明されている。しかし、実際にはかなり流動的で市町村が他府県へ編入されることもあった。
また以前触れたように「巨大愛媛県」のように現在の香川県と愛媛県を併せて「愛媛県」とした時期もあるなど、県レベルの合併・分割も見られた。
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ところで、明治以降の郵便物を見ると宛先に「県」表記が見られないことがある。
一番右には「佐渡国雑太郡三宮村字一丸」(現佐渡市畑野町)、真ん中には「近江国愛知郡柳川村」(現彦根市柳川町)とある。
夏目漱石がしたためた書簡にも同様に「伊予(国脱カ)越智郡下朝倉村」(現今治市)とある。消印の日付は確認できないが、Wikipediaによれば「下朝倉村」は明治22年(1889)の町村制施行により成立したとあるので、それ以降とみられる。