日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

「愛媛県讃岐国」と「愛媛県伊予国」 1876年から1888年の11年間四国に存在した巨大県「愛媛」

明治6年2月、紆余曲折を経て愛媛県が誕生した。そのわずか3年後の明治9年8月香川県を合併し、巨大愛媛県が成立した。

f:id:x4090x:20180124195326j:plain

 

上は現在の愛媛県香川県であるが、明治6(1873)年から同21(1888)年12月まではこの両県を併せて「愛媛県」と称した。面積は6066キロ平方メートルにおよび、現在の三重県より広く、茨城県よりせまい計算になる。

 

この頃の書状の宛名には「愛媛県伊予国○○郡…」「愛媛県讃岐国△△郡…」と見える。

 

愛媛県は通常「東予中予南予」と地域区分されるように、県名の「愛媛」より「伊予」になじみがあるようだ。香川県は多くの他県と同様、郡名に由来するのに対して(律令制「香川郡」)、愛媛は地名でなく、神話から名付けられた歴史的にごく短い県名である。しかも、10年間も伊予国讃岐国が住所表記に使われていた特別な事情がある。

 

ちなみに「愛」という字を「え」と読む事例は近江国滋賀県)愛知郡(えちぐん)などがある。草書体は次の通りなので、好みは分かれる。

 

愛

 

 引用元:https://stat.ameba.jp/user_images/f8/40/10011470327_s.jpg