当ブログでは、当面特に断らない限り「豊臣秀吉文書集」(吉川弘文館、既刊第1~5巻)を読んでいくので、以下巻数、文書番号、所収頁を「一、42号、15~16頁」のように略記することにする。
今回読む文書は、以前読んだ曇華院領大住庄についてのものである。
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当庄之儀、殿様*1御申沙汰*2候て、(闕字)曇花院殿様*3御直務ニ被仰定、御下知御朱印*4明白候、然而御給人*5を被付之由候、定*6(闕字)うへ様*7ハ被知召ましく候歟、(闕字)殿様*8より公方様*9へ当庄之儀無相違候様ニと御申之事候間、定*10不可有別儀*11候、御年貢之事、於他納ハ可為二重成*12候、恐々謹言、
夕庵*13
七月廿日*14 尓伝(花押)
秀吉(花押)
山城大住庄*15
名主御百姓中
「一、42号、15~16頁」
(書き下し文)
当庄の儀、殿様御申し沙汰候て、曇花院殿様御直務に仰せ定められ、御下知・御朱印明白に候、しかりて御給人を付けらるのよし候、定めてうへ様は知り召されまじく候か、殿様より公方様へ当庄の儀相違なく候ようにと御申しのこと候あいだ、定めて別儀あるべからず候、御年貢のこと、他納においては二重成たるべく候、恐々謹言、
(大意)
当大住庄のことは、信長様がお決めになり、曇花院殿様が直接支配することはすでに永禄13年の朱印状の下知の通り明白である。しかしながら、在地の荘官に支配を任されたとのこと、おそらく上様は御存知のことなのだろうか、信長様より上様へ当庄の件について、間違いのないよう申し出ているので、かならず支障のないようにしなさい。ほかの荘園領主と称する者に年貢を納めることは二重成である。