中野等『太閤検地』(中公新書、2019年)が安良城盛昭の太閤検地論を意識していることは、本文からはもちろん、安良城が根拠とした史料をひとつひとつ解釈しなおしている点、そして終章のタイトル「太閤検地の歴史的意義」から明らかである。
安良城に限らず、いわゆる戦後歴史学の論文で「止揚する」というタームはしばしば好んで使われるが、本書は文字通り2019年時点において太閤検地論争を止揚*1すべく書かれたものと推測する。
こうした点から、安良城の太閤検地論(通称安良城理論)の位置づけを振り返ってみるのも、ノスタルジックであるが、無駄ではなかろう。
1953年安良城は東京大学経済学部に提出した卒業論文「太閤検地の歴史的意義」を『歴史学研究』誌上に「太閤検地の歴史的前提1、2」、「太閤検地の歴史的意義」として発表した。安良城は中世荘園制社会を「家父長的奴隷制社会」であるとし、太閤検地によって「封建革命」(のちに自身により「封建革命」概念を撤回)が起こされ、検地帳に記載された名請人の排他的所持権を保証し、彼ら小農を基盤とする近世幕藩制社会こそ「農奴制=封建制社会」であると主張した。荘園制下で名主職・作職・下作職など一筆の土地への権利関係が複雑に分化していたのを、「一地一作人」とする政策基調が太閤検地に一貫してみられた、というのが安良城の立論である。つまり、日本の「中世荘園制社会」は「世界史的」には「古代社会」であるとしたのである。この問題提起は日本史のみならず日本の外国史研究者にも大きな影響を与えた。なぜなら歴史学に不可欠の時代区分が見直さざるを得なくなったためである。そして、この安良城の封建革命説に対し、名寄帳との比較などから相対的革新説、絶対主義成立説、封建的反動説、あるいは役屋体制論などが唱えられ太閤検地論争へと突入していく。個々の論点は本書との対比で述べるが、本文中でしばしば名請人の規定について言及しているのも安良城説、あるいは太閤検地論争を意識しているからであろう。
ちなみにこの論争に、のちに歴史人口学を切り開くことになる速水融も加わっていた(当時の論文は『近世初期の検地と農民』知泉書館、2009年所収。なお巻末の参考文献欄では「知泉書院」とされている)。
この安良城理論の中核をなす「小農自立」説は近世史研究者には受け入れられているが、中世史ではあまり評判がよくないとも聞く。
さてここまで述べてみたが、本ブログがかなり手垢にまみれた古臭い概念を多用したことは否定しようもない。本書も米が「使用価値という点でも交換価値という意味でも、全国的に通用する統一的なメジャー」(下線部引用者、9頁)となる貨幣であったと述べているが、下線部は明らかに価値形態論にもとづく記述であり、戸惑うことも少なからずある。しかしながら、そのことは本書の価値をいささかなりとも毀損するものではない。むしろ安良城盛昭という巨人と対話を試みているようにさえ感じられる、とてもエキサイティングな著作である。
次回、本書の主張と安良城のそれとを対比することで夏の読書感想文を完成させることとする。最後にカタカナ語を使わせていただくと、一般読者向けの歴史書としては史料の解釈が丁寧で、複数の解釈が可能な場合にもそれぞれに言及しており、俗流「歴史」書への強烈なアンチテーゼとなることは論を俟たない。