日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正17年10月14日清水寺成就院宛豊臣秀吉朱印状

 

 

清水寺本堂銭箱*1五ヶ所之事、妻帯之僧共取之、育女子*2、今度被成御改、何被為召上、当寺造営之為、永代被寄附訖、本願*3令執沙汰、修造*4可仕者也、

   天正十七年

    十月十四日*5(朱印)

      清水寺

       成就院*6

 

(四、2729号)
 
(書き下し文)
 
清水寺本堂銭箱五ヶ所のこと、妻帯の僧どもこれを取り、女子を育て候について、このたびお改めなされ、いずれも召し上げさせられ、当寺造営のため、永代寄附せられおわんぬ、本願執り沙汰せしめ、修造仕るべくものなり、
 
(大意)
清水寺本堂の五ヶ所にある銭箱から、妻帯の僧どもがこれを懐に入れ、妻子を養っている子を育ていることについて、このたび秀吉様がお調べになり、いずれも没収し、当寺造営のために永代寄附されました。本願をしっかり勤め、修理・造営の費用にあてるように。

 

 

Fig.1 清水寺周辺図

                   『日本歴史地名大系 京都府』より作成

 

Fig.2 銭箱

                       「人倫訓蒙図彙」より

本文書からわかることは次の諸点である。

 

一つ目は清水寺には妻帯者がいたことである。秀吉はこのこと自体を咎めてはいないようである。

 

二つ目はこの僧侶が清水寺の財産を横領していたことである。秀吉はこれを没収し、成就院の本来の役割である「本願職」に専念することを求めている。

 

三つ目はこの事件を契機にもともと清水寺の財産である「銭箱」の中身を「寄附」したということである。秀吉自身の懐を痛めることなく「寄附」するというのはおかしいが、彼自身はこれを「寄附」と称していた。

*1:銭を入れる箱。頑丈な作りで錠前が施されている。下図2参照。ここでは清水寺ないしは本堂の公的財産の意味

*2:「子女」の書き誤りの可能性もある

*3:寺院、仏塔、仏像などを建てること

*4:建物などを修理、造営すること

*5:グレゴリオ暦1589年11月21日、ユリウス暦同年同月11日

*6:清水寺の組織「三職六坊」のうち「三職」のひとつ