清水寺本堂銭箱*1五ヶ所之事、妻帯之僧共取之、育女子*2候仁付而、今度被成御改、何茂被為召上、当寺造営之為、永代被寄附訖、本願*3令執沙汰、修造*4可仕者也、
天正十七年
十月十四日*5(朱印)
清水寺
成就院*6
(四、2729号)(書き下し文)清水寺本堂銭箱五ヶ所のこと、妻帯の僧どもこれを取り、女子を育て候について、このたびお改めなされ、いずれも召し上げさせられ、当寺造営のため、永代寄附せられおわんぬ、本願執り沙汰せしめ、修造仕るべくものなり、(大意)清水寺本堂の五ヶ所にある銭箱から、妻帯の僧どもがこれを懐に入れ、妻子を養っている子を育ていることについて、このたび秀吉様がお調べになり、いずれも没収し、当寺造営のために永代寄附されました。本願をしっかり勤め、修理・造営の費用にあてるように。
Fig.1 清水寺周辺図
Fig.2 銭箱
本文書からわかることは次の諸点である。
一つ目は清水寺には妻帯者がいたことである。秀吉はこのこと自体を咎めてはいないようである。
二つ目はこの僧侶が清水寺の財産を横領していたことである。秀吉はこれを没収し、成就院の本来の役割である「本願職」に専念することを求めている。
三つ目はこの事件を契機にもともと清水寺の財産である「銭箱」の中身を「寄附」したということである。秀吉自身の懐を痛めることなく「寄附」するというのはおかしいが、彼自身はこれを「寄附」と称していた。