禁制 城州久世郡宇治郷*1
一、陣取寄宿事、
一、喧嘩口論、諸事非分族申懸事、
右条々堅令停止*10訖、若於違犯*11輩者、速可処厳科者也、仍如件、
天正拾弐年正月 日 筑前守(花押)
『秀吉文書集二』955号、3頁
(書き下し文)
禁制 城州久世郡宇治郷
一、他郷の者、宇治茶と号し、銘袋を似せ諸国にいたり商買せしむること、
一、国質・所質、つけたり押売・押買のこと、
一、理不尽の催促ならびに請取沙汰のこと、
一、陣取・寄宿のこと、
一、喧嘩口論、諸事非分のやから申し懸くること、
右の条々堅く停止せしめおわんぬ、もし違犯の輩においては、速やかに厳科に処すべきものなり、よってくだんのごとし、
(大意)
左の行為を禁ずる 山城国久世郡宇治郷
一、宇治郷以外の者が「宇治茶」と称して、包装を似せて諸国を売り歩くこと。
一、国質や所質を行うこと。つけたり、押売り・押買いをすること。
一、謂れのない課役や労役、軍役を徴発すること、および請取沙汰の依頼を受けること。
一、当方の軍勢が陣取りしたり、家に泊まり込むこと。
一、喧嘩や口論など実力行使すること。あれこれと言いがかりをつけること。
右の条々堅く禁止する。万一これに背いた場合は速やかに処罰するものである。以上。
Fig. 城州久世郡宇治郷周辺図
本文書に特徴的なのは下線部の「宇治茶と称して、包装を似せ」という部分。今日でいう類似品だが、16世紀末にはすでにこうした商法がよく見られた、と同時に「宇治茶」が名産品として諸国に知られていたことを意味する。
しかし、この類似商法禁止がどれほど有効だったのかはかなりあやしい。というのも、宇治茶を生産している当の宇治郷に充てて「他郷の者」の行為を禁ずるとしているからである。お墨付きは与えるが、実際の摘発*12は宇治郷次第という一種の当事者主義をとっていたらしい。
さらにいえばこの禁制は制札銭と呼ばれる対価を支払って得る、宇治郷にのみ充てたもので、諸国に触を出していないので秀吉が積極的に取り締まったとは考えにくい。宇治郷に認めた「特権」というべきであろう。偽商品が出回って困るのは当事者である宇治郷であり、秀吉は痛くもかゆくもないのだから。
これらの文言から確認できるのは、
①類似品を売り歩いている者がいたこと
→「宇治茶」が名産品であることが前提条件
②宇治郷が被害を被っていること
③秀吉が宇治郷の自力による「摘発」にお墨付きを与えたこと
以上である。
そのような点において、本文書は消極的な治安維持手段としての禁制の本質をよくあらわしている。
*1:図参照
*2:表向き称すること
*3:メイタイ?、包装
*4:商売
*5:「サザエさん」などでおなじみの、家に押しかけて刑務所帰りをちらつかせ、ゴム紐を売りつけるあの「押売」もその一種で、暴力を背景に粗悪品を言い値で売る悪質商法。今日の「ぼったくり」に見られるように、長い歴史を持つ伝統的商慣行である。対義語は「和買」(アマナイカウ)
*6:法外な安値、付け根で強引に買い取ること
*7:古代より売り手と買い手双方の合意にもとづく取り引き=「和市」と、一方が武力などを背景に売買する「強市」の二種類があった。「押売押買」は「強市」にあたる。「和」(ワまたはアマナウ)は合意にもとづくの意
*8:物品、金銭や労役などの徴発や軍勢催促
*9:訴訟当事者の委託を受けて第三者が表面上当事者となり、有利な解決をはかること。「寄沙汰」は訴訟当事者が有力者などに代償を支払い表面上の当事者になってもらうこと
*10:チョウジ
*11:イボン
*12:①口頭でやめるように促すだけか、②その場で「処罰」してしまう「私刑=リンチ」方式か、③その者を領主のところへ自力で連行して裁きを待つのかなど具体的な方法はわからないが、戦国大名分国法から近世法では③を原則とする。②の私刑は検断権を持たない個人や団体、集団が行う「違法」な行為だが、この時点で「違法」かどうか不明なのでカッコ付きの「私刑」とした