西五反田*1代官職事、安威兵部少輔*2方被帯補任*3、当知行以筋目、今度重而被成御下知候処ニ、理不尽ニ為本所*4御納所之由候、不可然候、如前々安兵代*5ニ可令納所候、万一於無沙汰者、可譴責候、為案内*6如此候、恐々謹言、
当所*8名主百姓中
「豊臣秀吉文書集 一」18号文書、7頁
(書き下し文)
西五反田代官職のこと、安威兵部少輔方に補任を帯びられ、当知行筋目をもって、このたびかさねて御下知なられ候ところに、理不尽に本所として御納所のよし候、しかるべからず候、前々のごとく安兵代に納所せしむべく候、万一無沙汰においては、譴責すべく候、案内としてかくのごとく候、恐々謹言、
(大意)
西五反田(どこかの荘園か)の代官職について、安威兵部少輔を任じる補任状をたずさえ、当知行を筋目に従い、なんども信長様の下知が下されているところである。しかるに、正当な理由なく「本所」と称している者に年貢・公事などを納めているとのこと、まことに言語道断である。従来通り、西五反田の代官は安威兵部少輔なので彼に納めるようにしなさい。もし、怠った場合は厳しく追及する。そういうことである。
本文書では具体的な地名は詳らかでないが、織田政権(その家臣としての秀吉)が正当な荘官として安威兵部少輔を任じているのに対し、名主百姓たちは「本所」と主張している方へ年貢等を納めていて、それに対して秀吉は安威が正当な代官であるから、今後はそちらへ納めるようにと命じている。
この文書だけでは状況を把握するのはむずかしいが、「当所名主百姓」らがあれこれと理由をつけて年貢徴収に応じていない様子はうかがえそうだ。