日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

永禄12年11月晦日当所名主百姓中宛木下秀吉書状を読む

西五反田*1代官職事、安威兵部少輔*2方被帯補任*3、当知行以筋目、今度重而被成御下知候処ニ、理不尽ニ為本所*4御納所之由候、不可然候、如前々安兵代*5ニ可令納所候、万一於無沙汰者、可譴責候、為案内*6如此候、恐々謹言、

                  木下藤吉郎

  十一月晦日*7               秀吉(花押)

    当所*8名主百姓中

                豊臣秀吉文書集 一」18号文書、7頁

 

(書き下し文)

西五反田代官職のこと、安威兵部少輔方に補任を帯びられ、当知行筋目をもって、このたびかさねて御下知なられ候ところに、理不尽に本所として御納所のよし候、しかるべからず候、前々のごとく安兵代に納所せしむべく候、万一無沙汰においては、譴責すべく候、案内としてかくのごとく候、恐々謹言、

(大意)

西五反田(どこかの荘園か)の代官職について、安威兵部少輔を任じる補任状をたずさえ、当知行を筋目に従い、なんども信長様の下知が下されているところである。しかるに、正当な理由なく「本所」と称している者に年貢・公事などを納めているとのこと、まことに言語道断である。従来通り、西五反田の代官は安威兵部少輔なので彼に納めるようにしなさい。もし、怠った場合は厳しく追及する。そういうことである。

 

本文書では具体的な地名は詳らかでないが、織田政権(その家臣としての秀吉)が正当な荘官として安威兵部少輔を任じているのに対し、名主百姓たちは「本所」と主張している方へ年貢等を納めていて、それに対して秀吉は安威が正当な代官であるから、今後はそちらへ納めるようにと命じている。

 

この文書だけでは状況を把握するのはむずかしいが、「当所名主百姓」らがあれこれと理由をつけて年貢徴収に応じていない様子はうかがえそうだ。

*1:未詳

*2:未詳

*3:ブニン:職に任命すること。または補任状。ここでは後者。本来職を付与することを「補」、官を与えることを「任」と呼んだが、両者が合わさって「補任」と称するようになった

*4:荘園領主

*5:安威兵部少輔を代官として

*6:ものごとの事情、内容。「案」は文書の下書き「案」「草案」を意味し、「案」の「内容」すなわち「案内」で公文書の内容を意味した

*7:永禄12年:同年の11月は大の月なので29日にあたる

*8:西五反田