日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

元和3年1月藤堂高虎条目を読む(部分) 男色の禁止

一、そはに召遣、大小姓*1、小々姓*2共ニ、衆道*3之心*4於在之者、妻子共成敗可仕事、

               大日本史料』12編、25巻、509頁

https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1226/0509?m=all&s=0508&n=20

 

(書き下し文)

ひとつ、そばに召し使う大小姓・小々姓ともに、衆道の心これあるにおいては、妻子とも成敗つかまつるべきこと、

 

(大意)

ひとつ、そばに仕える大小姓・小小姓ともに、男色の関係を持とうとした者は、妻子ともに断罪する。

 

大坂の陣がおわって数年後、藤堂高虎が家臣に向けて発した条目の一文である。衆道、つまり男色の禁止であるが、元服まえの小姓との関係を禁じている点が興味深い。これは戦国期、武家の習慣として、元服した小姓はむろん、それより幼い小姓とも関係を持つことが常態化していたことを示すものである。罪は重く、妻子を連座させるとわざわざ明記するほどの方針である。

 

ただこの禁令が実効性を持ったか否かは、もちろん別に検討を要する問題である。

 

*1:元服した小姓

*2:「児小姓」とも、元服前の小姓

*3:男色の意

*4:ある物事を意図し、実現しようとする気持ち