人身売買の禁止は古くから見られる。試みに東京大学史料編纂所「大日本史料総合データベース」で「人身売買」を検索すると以下の結果が得られる。
Table.1
No | 和暦年月日 | 綱文 | 区分 | 編 | 冊 | 頁 |
1 | 延応1年4月14日 | 幕府、家人の官位競望、惣地頭の領内名主職押妨、及び鎌倉中僧徒の官位競望を停止し、勾引人及び人身売買者の捕進、奴婢雑人糺返の時の直法を定む、 | 大 | 5 | 12 | 402 |
2 | 延応1年5月1日 | 是より先、綸旨を下して、人身売買を禁ず、是日、幕府、之を令す、 | 大 | 5 | 12 | 426 |
3 | 仁治1年5月12日 | (第二条)幕府、和泉守護所をして、人身売買を停止せしめ、違犯の輩の在所及び交名を注申せしむ、 | 大 | 5 | 12 | 852 |
4 | 建長6年10月12日 | 幕府、武士の狼藉及び人身賣買を停止せしむ、 | 綜 | 5 | 904 | 807 |
5 | 正應3年2月13日 | 幕府、令して、造作、修理、替物用途、オウ飯役、五節供を百姓に課することを停止し、人身賣買、沽酒及び六齋内二季彼岸日の殺生を禁斷せしむ、 | 綜 | 5 | 905 | 364 |
6 | 永仁1年5月25日 | 幕府評定、政務、庭中、人身賣買等を定む、 | 綜 | 5 | 905 | 396 |
7 | 天正18年4月27日 | 秀吉、上杉景勝に答書し、上野松井田の地下人等を還住せしめ、又、人身売買を厳禁せしむ、 | 綜 | 11 | 912 | 284 |
8 | 元和2年10月是月 | (第二条)幕府、一季居奉公人及び人身売買無宿人等に係る禁令を頒つ、 | 大 | 12 | 25 | 701 |
9 | 元和3年10月28日 | (第二条)幕府、人身売買、勾引及び一季居奉公人に関する禁令を佐渡国に頒つ、 | 大 | 12 | 28 | 219 |
10 | 元和4年2月18日 | (第二条)幕府、一季居、年季奉公人、人身売買、覆面、煙草等に係る禁令を申ぬ、 | 大 | 12 | 29 | 66 |
11 | 元和5年2月10日 | (第三条)幕府、一季居奉公人、人身売買、無宿人、煙草、欠落者等に係る禁令を申ぬ、 | 大 | 12 | 30 | 478 |
12 | 元和5年12月22日 | (第二条)幕府、人身売買、長年季奉公、駈落者等に係る禁令を頒つ、 | 大 | 12 | 32 | 178 |
13 | 元和7年9月20日 | (第二条)陸奥会津若松城主蒲生忠郷、城下に、牢人の宿泊・請人・借銭・借金・口入・人身売買・夜番等に関する令を頒つ、 | 大 | 12 | 38 | 338 |
14 | 元和8年6月是月 | (第一条)幕府、一季居・人身売買・年期奉公人・覆面・煙草等に関する条規を定む、 | 大 | 12 | 45 | 210 |
15 | 元和8年6月是月 | (第一条)幕府、一季居・人身売買・年季奉公人・覆面・煙草等に関する条規を定む、又、喧嘩口論の場・賜死の場及び失火の地等に臨むことを禁ず、(綱文を改訂す) | 大 | 12 | 49 | 142 |
16 | 寛永2年8月27日 | 幕府、喧嘩・口論・死刑・失火・雇人・人身売買・負傷者・浮浪・借家・辻立・門立等のこと並に伝馬賃・銭価・撰銭及び関門に関すること等の条規を定む、 | 綜 | 12 | 916 | 99 |
17 | 寛永3年閏4月27日 | (第一条)幕府、人身売買・手負人の隠匿・宿駅に就きて定む、 | 綜 | 12 | 916 | 119 |
18 | 寛永4年1月18日 | (第二条)幕府、人身売買及び雇人年期・闘争・刑場・失火等の禁令を定む、 | 綜 | 12 | 916 | 143 |
19 | 寛永6年8月20日 | 陸奥仙台城主伊達政宗、領内百姓の人身売買・用船・御用材伐採等に関する条規を定む、 | 綜 | 12 | 916 | 218 |
20 | 寛永10年2月2日 | (第二条)幕府、人身売買・伝馬等のことに就きて、条規を定む、 | 綜 | 12 | 917 | 5 |
21 | 寛永10年7月18日 | 幕府、人身売買・道中の駄馬賃等に就きて令す、 | 綜 | 12 | 917 | 20 |
22 | 寛永12年5月13日 | (第二条)幕府、人身売買・年季・伝馬・駄賃等に就きての掟を下す、 | 綜 | 12 | 917 | 88 |
23 | 寛永13年7月是月 | (第一条)肥後熊本城主細川忠利、封内の男女質入及び売買に関する条規を定む、 | 綜 | 12 | 917 | 133 |
24 | 寛永14年2月2日 | 幕府、人身売買・年季奉公・駄賃・宿賃等に就きて定む、 | 綜 | 12 | 917 | 150 |
25 | 寛永14年5月是月 | (第一条)幕府、元和五年十二月の人身売買の禁令以前に係るものは、之を裁断せざる旨を令す、 | 綜 | 12 | 917 | 158 |
26 | 寛文6年6月22日 | 幕府、豊後肥田郡・伊豫宇麻郡に人身賣買の禁止、及ひ奴婢雇使の期限等七條を掲示す、 | 綱 | 99 |
なお、ここでヒットしなかった前回*1読んだ藤堂高虎が発した条目にも人身売買の禁が見える。
一、人のうりかひ一円停止事、
(書き下し文)
ひとつ、人の売り買い、一円停止のこと、
(大意)
ひとつ、人身売買を禁ずる。
『大日本史料』12編、25巻、510頁
ただし、この条目は藤堂家中に宛てて出されたものなので、領国内での人身売買を全面的に禁じたものとはいえない。家中以外は以前と同様に行っても罪に問わないことを意味する。データベースでヒットした26件も人身売買そのものを全面的に禁じたともいいがたい。
むろん、現実にこうした禁令だけで人身売買をなくすことはできない。むしろ数百年の間、なかでも徳川期に頻繁に発せられていることを考えると、有効な手段ではなかったのだろう。