其国*1悪逆人□見計*2、成敗可申付旨、最前被仰含候処、得御諚*3之段、ぬるき*4申上事候、忠節之者*5共*6ハ立置て*7、悪逆人一類妻子共ニ*8悉令成敗、くさり*9候共塩付□候て*10、首差上可申候、あはれミ*11在之安国寺*12同前ニ、何事申上候哉、従其方書立*13加披見、則成敗候者共書付被遣候也、
五月二日*14 (朱印)
浅野弾正少弼とのへ*15
生駒雅楽頭とのへ*16
戸田民部少輔とのへ*17
黒田勘解由とのへ*18
森壱岐守とのへ*19
加藤主計頭とのへ*20
小西摂津守とのへ*21
福島左衛門太夫とのへ*22
(三、2490号)(書き下し文)その国の悪逆人□見計らい、成敗申し付くべき旨、最前仰せ含められ候ところ、御諚をうるの段、緩き申し上ぐることに候、忠節の者どもは立て置いて、悪逆人一類妻子ともにことごとく成敗せしめ、腐り候とも塩付□候て、首差し上げ申すべく候、憐れみこれある安国寺同前に、何事申し上げ候か、その方より書立披見を加え、すなわち成敗候者ども書き付け*23遣わされ候なり、(大意)肥後国の謀反人どもをよくよく見極めて処罰を命ずべきと先日伝えましたが、お考えを理解するにその決定はぬるすぎると上申してきました。我が方に臣従を誓った者はその知行を安堵し、謀反人たちは親類縁者妻子ともども処刑し、腐敗が始まった首は塩漬けにして必ず差し出しなさい。憐れみ深い恵瓊も同様に、いかなることを申しているか、そなたたちが書き上げよく見た上で、成敗した者の交名とともに書き上げて報告しなさい。
Fig. 本文書充所の大名領知分布
Table. 天正13年太閤蔵入地、秀吉家臣および勧修寺晴豊・近衛前久の知行地
本文書は「悪逆人」は親類縁者妻子ともども斬罪とすべきとする一方で「忠節の者」には本領を安堵するように8名の家臣に命じたものである。本人だけでなく血縁関係にあるものや地縁で結ばれた者までが連帯責任を負うしくみを連坐/連座という。近代では一部を除き連座制の適用は認められないが、社会的にはまだまだ連座制を適用すべしとの規範は残っている。
秀吉の怒りはすさまじく、腐敗し始めた頸さえ塩漬けにして届け、その名を書き上げて差し出すよう徹底している。
また「憐れみ深い」安国寺恵瓊がこの徹底した処断方法に従うとは思えないと漏らしている点は興味深い。
*1:肥後国
*2:見極める
*3:秀吉の意思
*4:緩き。手ぬるい、寛大である、厳しくない
*5:秀吉に臣従した在地の土豪。彼らが局外中立を保つことは許されない。それが秀吉の「惣無事」の論理
*6:「共」は複数を表す接尾辞。e.g.「野郎ども」「者ども」「女ども」など
*7:そのまま維持すること
*8:「妻子ともに」と読んでおく。なお当時は「子ども」(複数形)を「子共」と書いた
*9:腐り
*10:腐敗し始めた首であっても塩漬けにして腐敗防止を施した上で
*11:憐れみ。不憫に思うこと、同情すること
*12:恵瓊
*13:古文書の様式。成敗した者たちの人名を一つ書きに列挙したもの
*14:天正16年
*15:長吉、のちの長政。若狭国主
*16:親正。讃岐国主
*17:勝隆。伊予大洲城主
*18:孝高。豊前馬ヶ岳城のち中津城
*19:毛利吉成。豊前小倉城主
*20:清正。和泉堺周辺の太閤蔵入地代官
*21:行長。備前小豆島代官
*22:正則。伊予今治城主
*23:こちらは動詞とした