原文の写真が掲載されている『豊大閤真蹟集』から引用しておく。なお同書では「かゝ」を加賀=「かが」という者に渡すよう命じたと解説し、この「かが」を秀吉の奥向に仕える婦人であろうとする(同書「解説」30頁)。「かゝ」が「嬶」を意味するのか、同書のように女性の名前を意味するのかは今後の課題としたい。なお本文書は播磨三木城に籠もる別所長治攻めの際発給されたようだ。
天正6年9月23日伊藤吉次宛米切手
(注意)
正確には「豊大閤真蹟集」で、秀吉文書集も同様に記している。ただし国会図書館では「豊太閤」でないと検索できない。こうした場面に遭遇することは珍しくなく、データーベース化されたからといって重複や漏れなしに検索できるかどうかは入力後の点検具合による。十二分に活用しうるかは入力後のメンテナンス次第ということだ。