日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

明治2年版籍奉還にともなう藩知事任命一覧

版籍奉還によりそれまでの大名は「藩知事」に任命された。各藩知事は以下の通りである。

 

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興味を引く点を挙げてみよう。

 

第一に9の「長州藩」としてよく知られる「周防山口」の毛利宰相家である。ただ長州、つまり長門ではなく周防と認識されている点は興味深い。今後も関係史料を見ていく中でいつごろから「長州藩」なるものが出現したのか探ってみたい。

 

第二に71の「丹羽五郎左衛門」と249の「北条相模守」である。前者は丹羽長秀が「五郎左衛門」だったこと、後者は藩祖が小田原北条氏(相模守)であったことから、中世末期から近代まで家を守り抜いたことがうかがえる。有力大名だけが生き残ったわけではないのである。

 

第三に222の「大岡越前守」と231の「柳生但馬守」という時代劇でもおなじみの名前が見えることである。もちろんあの「名奉行大岡越前」でもなければ「剣豪柳生但馬守宗矩」でもないが受領名も「家名」として受け継がれている点は確認できる。