版籍奉還によりそれまでの大名は「藩知事」に任命された。各藩知事は以下の通りである。
興味を引く点を挙げてみよう。
第一に9の「長州藩」としてよく知られる「周防山口」の毛利宰相家である。ただ長州、つまり長門ではなく周防と認識されている点は興味深い。今後も関係史料を見ていく中でいつごろから「長州藩」なるものが出現したのか探ってみたい。
第二に71の「丹羽五郎左衛門」と249の「北条相模守」である。前者は丹羽長秀が「五郎左衛門」だったこと、後者は藩祖が小田原北条氏(相模守)であったことから、中世末期から近代まで家を守り抜いたことがうかがえる。有力大名だけが生き残ったわけではないのである。
第三に222の「大岡越前守」と231の「柳生但馬守」という時代劇でもおなじみの名前が見えることである。もちろんあの「名奉行大岡越前」でもなければ「剣豪柳生但馬守宗矩」でもないが受領名も「家名」として受け継がれている点は確認できる。