日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

元和3年1月藤堂高虎御家中御条目を読む(部分) 軍役負担への喚起

前々回、前回に続き藤堂高虎の発した家中条目を読む。

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

 

 

一、知行に応し馬武具可相嗜*1事、

(書き下し文)

ひとつ、知行に応じ、馬・武具あい嗜むべきこと、

 

(大意)

ひとつ、知行高に応じて、馬具や武具を準備しなさい。

                   

             大日本史料』12編、25巻、508頁

 

「嗜」には用意のほかに「節制、慎み」の意がある。そう考えると「知行に応し」の部分が一層いきてくる。武家の被官は主人に対して、知行高の多寡に応じて「奉公」するわけで、それが軍役である。むろん戦時は出兵するが、通常は主人・主君のもとへ参上することで、もっとも知られているものとしては大名の「在江戸交替」=参勤交代がある*2

 

ここでは単に「馬術や武芸を磨け」ということではなく、「知行高に対して過不足なく用意せよ」とする点が重要である。これは負担が青天井に増えることを防ぐことも意味するだろう。

 

*1:用意、覚悟、節制

*2:寛永12年6月21日「武家諸法度」2条に「大名小名在江戸交替あい定むるところなり、毎歳夏四月中参覲いたすべし、従者の員数、近来はなはだ多く、かつは国郡の費え、かつは人民の労きなり、向後それ相応をもってこれを減少すべし」とある。大名側が競って華美に傾きがちなのを、幕府がこれを制限するよう命じたわけである。参勤交代は封土に対する「御恩」であり、よくいわれるような、大名の財政を脆弱化する目的で行われたものではない。むしろ、ここでは下線部にあるようにその反対を目的としていたことが明らかである。ただ、その結果がどうなったかはまた別に検討を要する問題である