日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

文禄5年3月1日石田三成十三ヶ条村掟を読む その3

 

 

一、田はた*1さくしき*2の儀ハ、此さき御けん地*3の時けんち帳*4にかきのり*5候者のさばき*6*7つかまつり、人にとられ候事も、又むかし我かさくしきとて、人のをとり申事もちやうじ*8の事、

 

(書き下し文)

ひとつ、田畠作職の儀は、此前御検地の時、検地帳に書き載り候ものの捌きにつかまつり、人に取られ候ことも、また昔我が作職とて、人のを取り申すことも停止のこと、

 

(大意)

ひとつ、田畠の作職については、先年の御検地の時に検地帳に記載された名請人の扱いとする。人に取られることも、あるいは「昔は自分の作職だった」と主張して他の百姓の田畑を取り上げようとすることも禁止する。

 

 

 

これはすでに紹介した「九ヶ条」と同様、検地帳に記載された名請人に作職が属するという規定である。

 

しかし、こういった文書はあくまでも政策意図、政策基調を明示したものであって、必ずしも意図したようになるわけではない。まして、現実の姿を描いたものでは決してない。ただ、実態をまったく無視した荒唐無稽なものというわけでもない。

 

したがって、ここで禁じられているような、作職をめぐるトラブルは当然見られたであろう。

 

*1:田畠

*2:作職

*3:御検地、「御」の文言から秀吉の名で行われた検地であることが分かる

*4:検地帳、こちらには「御」がないので検地帳が、領主か村のものであると認識されていたことがわかる

*5:書き載り

*6:捌き

*7:「丹」のくずし字なので「ニ」から改めた

*8:停止