一、当村之百姓之内、さんぬる*1小田原御陣*2の後、ほうこう人・町人・しよく人に成よそへまいり候ハヽ、返し候へと御法度*3ニ候間、きゝたて*4きう人に可申候、たとひよのさとへまいり田を作り候共、もとのむらへめし返し可申候、又よそのむらの百姓罷越*5居*6候共、地下中ニかゝへ申*7ましく候、自然*8かゝへ申者候ハ其者の事ハ申にをよハす、地下中曲事たるへき事、
(書き下し文)
ひとつ、当村の百姓のうち、去んぬる小田原御陣ののち、奉公人・町人・職人になり、よそへ参いりそうらわば、返しそうらえと御法度に候あいだ、聞き立て給人に申すべく候、たとい余の里へ参り田を作り候とも、もとの村へ召し返し申すべく候、またよその村の百姓罷り越しおり候とも、地下中に拘え申すまじく候、自然拘え申す者そうらわば、その者のことは申すにおよばず、地下中曲事たるべきこと、
(大意)
ひとつ、当村の百姓が、先年の小田原の陣以降、奉公人・町人・職人になって、移住した場合、「帰村させなさい」との御法度があるので、そういった話を聞き次第給人に報告しなさい。たとえ他村に移住し田を耕作していたとしても、天正18年以前に居住していた村へ帰村させなさい。また、よその村の百姓が当村へ移住していたとしても、村に置いておくことはまかりならない。万一、村に居住させたままにしておいたならば、当事者はもちろん、村の連帯責任とする。
刀狩令のうち、百姓が他村へ移住した場合に帰村させるとした規定を徹底させるものである。刀狩令には見られなかった、百姓が奉公人・町人・職人になることも禁じている。
また、村の連帯責任とすることも定めている。
天正18年8月10日豊臣秀吉朱印状
一、在々百姓他郷へ相越候儀在之者、其領主*9へ相届可召返、若不罷帰付てハ、相拘候者共ニ可為曲事
(書き下し文)
ひとつ、在々百姓、他郷へあい越し候儀これあらば、その領主へあい届け召し返すべし、もし罷り帰らざるについては、あい拘え候者ともに曲事たるべし、