今回西郷吉之助のセリフは第2回「立派なお侍」と異なり、文書を読み上げず、口語体で通した。文書中では島津斉彬を「若君樣」とする。若君呼ばわりされる渡辺謙もさすがに恥ずかしかったのだろうか。
(包紙ウハ書き)
「 西郷吉之助」
・・・仕候(闕字)赤山靱負樣御無念・・・・
被仰付候事、(平出)若君樣御跡継ト被成候ハゝ御国情改善摧如之相定タル事ヲ偏(ひとえ)ニ被願候故ニ御座候、然ルニ(闕字)赤山樣周意之方々ハ続々服罪ノ第ト被成候、加之(しかのみならず)徒随承隣人大久保次(右欠ヵ)衛門ニ至リテハ唯精々勤服務之故ニ依而遠島被仰付候有様ニ御座候、此上ハ(平出)若君樣太守公ト被成候外ニ人・・無念ニ報ユル道ハ無之候事・・御座候何時迄御待可申候哉、何故之御違趣ニ御座候哉、・・此時ソ切所ト存候、怯懦者丈・・道ニ無御座候、(闕字)御国之末曽・・之窮状ヲ御救被下候(闕字)御方ハ(平出)若君樣ヲ於(ママ)ヒテ慮外ト奉存候、以上
・・月
(書き下し文)
つかまつり候赤山靱負さま御無念・・・・仰せ付けられ候事、若君樣おん跡継ぎとなられ候はば、御国情よくあらたまりかくの如くくだき、あいさだまりたることを、ひとえに願われ候ゆえにござ候、しかるに赤山樣周意(囲)之方々は続々罪に服す第(しだい)となられ候、しかのみならず徒随うけたまわる隣人大久保次右衛門にいたりてはただ精々服務につとむるのゆえによりて、遠島仰せ付けられ候ありさまにござ候、この上は若君樣太守公と成られ候ほかに人・・無念に報ゆる道はこれなく候こと・・ござ候、何時までお待ち申すべく候や、なにゆえの御違趣にござ候や、・・このときぞ、きっしょと存じ候、怯懦者(きょうだもの)だけ・・道にござなく候、御国のすえかつて・・の窮状を御救い下され候おかたは若君樣をおいて慮外と存じたてまつり候、以上
(大意)
・・・しました赤山靱負さまご無念・・・の命令でしたので、若君さま(島津斉彬)がお家をお継ぎになられましたならば、島津家家中は改善の方向に向かい、よく治まりますので、家督を継がれることをただただお願い申し上げます。ところで、赤山さまの周囲では次々と罪に問われる者が出ております。それだけではなく、隣の大久保次右衛門にいたっては、ただ日々勤めに励んでいるだけですのに、島流しとなるようなありさまです。早く若君さまが太守となられるほかには人心が(休まることはありません)・・・。いつまでお待ちしていればよいのか、なぜお心変わりされたのか、・・・今日こそ決め時でございます。臆病者だけが・・・という道理はありません。島津家の行く末、いまだかつて・・・このような困窮を極める事態をお救い下されるのは若君さま以外にいらっしゃいません。
*御国:島津家が治めている薩摩、大隅。それに前々回で開いていた帳簿に「日向国」と見えるので、それら三国。
*太守:国持大名。「大隅守」など律令制上の国司の長官(かみ)などに任命されることが多い。
*御違趣:宗旨替え、心変わり。
*きっしょ:潮時、けじめをつける時。