新発見勝家書状の続報である。
全体 切紙を糊で貼り継いだ続紙
イ「五郎左」=丹羽長秀
ロ「明知」=明智光秀
ハ「上様」=織田信長
傍線部①には「昨日九日至越前北庄江令帰陣候」、「昨日九日、越前北庄へいたり帰陣せしめ候」とあり、天正10年6月9日に北庄まで撤退してきたことがわかる。
文末
諸城慥可被相抱*2事
専一候猶木戸金左衛門尉*3
より可申越候恐〻謹言
六月十日 勝家(花押)
溝口半左衛門尉殿
同久介殿
御宿所
(書き下し文)
御朱印の旨、よくよくあい談じられ、諸城たしかにあい抱えらるべきこと専一候、なお木戸金左衛門尉より申し越すべく候、恐〻謹言、
(大意)
上様の御朱印の趣旨についてよくよくご確認の上、それぞれの城の戦力維持につとめて下さい。なお、木戸金左衛門尉が口頭で申し入れます。謹んで申し上げました。