日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正10年6月10日溝口半左衛門尉・同久介宛柴田勝家書状を読む???

新発見勝家書状の続報である。

www.msn.com

 

全体 切紙を糊で貼り継いだ続紙

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イ「五郎左」=丹羽長秀

ロ「明知」=明智光秀

ハ「上様」=織田信長

 

傍線部①には「昨日九日至越前北庄江令帰陣候」、「昨日九日、越前北庄へいたり帰陣せしめ候」とあり、天正10年6月9日に北庄まで撤退してきたことがわかる。

 

文末

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御朱印*1旨能〻被相談

諸城慥可被相抱*2

専一候猶木戸金左衛門尉*3

より可申越候恐〻謹言

六月十日 勝家(花押)

 溝口半左衛門尉殿

 同久介殿

    御宿所

 

(書き下し文)

御朱印の旨、よくよくあい談じられ、諸城たしかにあい抱えらるべきこと専一候、なお木戸金左衛門尉より申し越すべく候、恐〻謹言、

 

(大意)

上様の御朱印の趣旨についてよくよくご確認の上、それぞれの城の戦力維持につとめて下さい。なお、木戸金左衛門尉が口頭で申し入れます。謹んで申し上げました。

 

 

 

 

*1:平出なので信長の朱印状

*2:勢力を維持する、庇護下に置く

*3:勝家の家臣か