日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正10年上下京中宛羽柴秀吉外3名連署状写

今度(闕字)御両殿様*1不慮之儀付城介殿*2若子様*3為宿老*4中奉守、天下之義被仰付候、然者洛中政道方、先奉行*5裁許、於順路*6者、可為如其置目*7候、若非分*8*9於在之者、被成御改*10、可被加御宥免*11之条、前後之儀*12無其憚*13可令言上候、為其尋*14*15候、恐〻謹言、

                 惟住*16五郎左衛門尉

  六月廿七日*17             長秀

                 羽柴筑前

                     秀吉

                 池田勝三郎

                     恒興

                 柴田修理亮

                     勝家

  上下京中

                        「一、445号、140頁」

 

(書き下し文)

このたび御両殿様不慮の儀について、城介殿若子様、宿老中として守り奉り、天下の義仰せ付けられ候、しからば洛中政道方、まず奉行裁許、順路においては、その置目のごとくたるべく候、もし非分の族これあるにおいては、御改なされ、御宥免加うらるべくの条、前後の儀その憚りなく言上せしむべく候、そのため尋ね遣し候、恐〻謹言、

(大意)

このたび信長様・信忠様が不慮の死を遂げられたので、信忠様の若君を宿老中としてお守りし、天下を治めていくことになりました。したがって洛中の仕置はまず町の奉行が裁許し、正当であればその決定通り処罰しなさい。ただし異議のある場合は政権が調べ、宥免するので、遠慮なく言上しなさい。そのために問い質す者を遣わします。

 

本文書の日付はいわゆる「清洲会議」が行われた日で、同日高山右近堀秀政宛に上記4名連署の知行充行状が発給されている*18。下線部に記されているとおり、宿老4名による織田政権は機能していたといえる。

 

信長・信忠父子死後の織田政権を「宿老中」として支えていくとあり、そういうことだから洛中の仕置もまず「奉行」が裁定し、道理があれば処罰すべきとする。ただし、この裁定に異議がある者は、織田政権が調べ、宥免するので遠慮することなく申し出よと述べている。ここから上下京中の自検断をほぼ認めていたと解釈できるが、共同体の検断に問題があれば「言上」し、上級権力の裁定を仰ぐように認めている点に近世的な秩序を見出すこともまた可能であろう。

 

 

*1:織田信長・信忠

*2:信忠

*3:三法師

*4:シュクロウまたはオトナ、集団の指導者

*5:町の年寄衆カ

*6:道理

*7:処罰

*8:道理に合わないこと

*9:「奉行」のこと

*10:「改」に「御」がついているので織田政権による「改」

*11:同様に「宥免」するのは織田政権

*12:順序が逆転すること、ここでは「言上」すること

*13:遠慮

*14:問い質す

*15:使者

*16:丹羽

*17:天正10年

*18:447~448号