福島県歴史資料館の「新公開史料展」に興味深い2点の絵図がある。
http://www.history.fcp.or.jp/2017/shinkoukai.pdf
絵図1.慶應4年7月
「御台場」の「御」は幕府への敬意を込めた表現で幕府直轄地の代官を「御代官」と呼ぶように、幕府の砲台=「台場」を「御台場」と呼ぶ。現在東京の地名になっている「お台場」は、もともと諸外国への対策として江戸湾に人工の島をつくり砲台とした呼称を引き継いだものである。
絵図2.明治初年 全体
絵図2 左上部
絵図2. 中央部下
村長佐藤五兵衛、副村長菊地市三郎、百姓代佐藤喜惣次
「西院宮閨(カ)龍雲寺」 *閨:「けい」:奥
「西宮院」が見せ消ち なお明治9年頃廃寺
岩代国は明治元年12月7日、陸奥国が磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥に分割された時に成立し、福島県は明治2年7月20日成立なので、絵図2はそれ以降に作成されたことになる。明治元年=慶応4年
明治に入ると新しい村役人として「村長」「副村長」が置かれたことがわかる。ただ、絵図1の「名主五兵衛」がそのまま絵図2の「村長佐藤五兵衛」に横滑りしていることから、慶応年間の体制をそのまま引き継いだと思われる。また「百姓代」という旧来の役職名をそのまま使用している。
絵図2で黄色に塗られたところを年貢免除地とし、赤に塗られた土地のみ年貢を負担すべきとしている。ただ、絵図は地図と異なり、縮尺は一様でないので、年貢地を全体の4分の1程度と即断することはできない。
以上2点の絵図から、戊辰戦争後に「村長・副村長」といった新しい呼称が見られるものの、事実上幕府時代のシステムを踏襲していたことがわかる。