日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

永禄2年10月19日口羽通良宛毛利元就書状を読む 2018年10月9日放送「開運!なんでも鑑定団」

鑑定額800万円の毛利元就書状だが、その釈文にやや問題がある。

 

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なお、全体はこちらを参照されたい。

www.tv-tokyo.co.jp

 

まず青い丸で囲った部分の「踊り字」が「二の字点」=「〻」で翻刻されているところは驚きである。NHKなどの歴史番組はこういった基本的なことをおろそかにするので、ぜひ爪の垢でも煎じて飲んでいただきたい。

 

つぎに赤い丸で囲った部分は誤植であったり、原文にない文字が加えられているので訂正してみた。

 

あらためて読んでみよう。

 

此条態可申候処飛脚到来

候之間令申候河本*1*2り御八幡御神

躰可有御帰之由尤目出*3候然間従

前〻祝子*4いたき*5申候て早〻御帰

可為肝要候於祝子も不可有異

儀之由被申届頓*6御調*7可為肝要候

恐〻謹言

  十月十九日   毛利元就(花押)

 刑部太輔*8殿

    貴報*9

 

(書き下し文)

この条わざわざ申すべく候ところ、飛脚到来候のあいだ申せしめ候、河本より御八幡御神躰お帰りあるべきのよしもっともにめで候、しかるあいだ前〻より祝子懐き申し候て、早〻お帰り肝要たるべく候、祝子においても異儀あるべからざるのよし、申し届けられ、やがておととのい肝要たるべく候、恐〻謹言、

 

(大意)

この件についてご返事すべきところですが、飛脚が到着しましたのでお答えします。河本郷より八幡神のご神体がお戻りになったそうで実に喜ばしいことです。それで以前から神職を擁して早々にお戻りになることが重要です。神職の者どもにおいても異議なしとのこと、お聞き届けになり、すぐにでも調整することが大事です。謹んで申し上げました。

 

石見国邑智郡河本郷・安芸国高田郡吉田周辺図

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                    「日本歴史地名大系」島根県より作成

「日本歴史地名大系・広島県」の「亀尾山神社」によれば、「永禄二己未、重造棟札に刑部大輔通良とあり姓闕」とある。宛所の 「刑部太輔」はこの「通良」つまり志道/口羽通良であろう。

 

さらに、永禄2年8月河本郷を所領としていた小笠原氏が毛利元就に下り、河本郷が毛利領になったとあることから*10、移住することになったと思われる。

 

 

*1:石見国河本郷

*2:「よ」の変体仮名、詳しくはこちらを参照されたい 

http://www.book-seishindo.jp/kana/onjun_3.html#yo

*3:愛でる、感動すべき、美しい

*4:ハフリコ、神職

*5:懐く

*6:ヤガテ、ただちに、すぐに、すなわち

*7:トトノイ

*8:志道通良 

口羽通良 - Wikipedia

*9:返答書の脇付

*10:同書・島根県の「河本郷」