日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正6年1月29日伊藤民部丞外3名宛明智光秀書状写を読む

 

前回、前々回につづき滋賀高島郡境相論についての光秀書状を読んでみる。

 

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藤田前掲書74号文書、79頁

鵜川開作之儀、同名中令奉行悉可作候、於無沙汰者、各越度別而可被入精候、境目以下之事、以(闕字)御朱印被(闕字)仰付、如□余可入念之由候、恐々謹言、

  天正

   正月二十九日      光秀

     伊藤民部丞殿

     伊藤平介殿

     伊藤新之丞殿

     伊藤又次郎殿

 

*鵜川:近江国滋賀郡と高島郡の境

 

*開作:開墾して作物を植えること

 

*同名中:伊藤一族、宛所にある4名のこと

 

御朱印:永禄12年1月19日近江堅田中に宛てて朱印状が発給されている(堅田村旧郷土共有文書)。「一、所々にこれある当所知行分、異議有へからさる事」

 

これと同じような趣旨の朱印状がそれぞれの在地に宛てて出されたのだろうか。

 

*伊藤民部丞外3名:小松庄住人と思われる

 

(書き下し文)

鵜川開作の儀、同名中奉行せしめことごとく作るべく候、無沙汰においては、おのおの越度、別して精を入れらるべく候、境目以下のこと、御朱印をもって仰せ付けられ、□余のごとく念を入るべきのよし候、恐々謹言、

 

(大意)

鵜川の開発のこと、一族で管理しすべて耕作しなさい。年貢所当など未進に及べば、おのおの越度なので、とくに精を入れなさい。境目そのほかの件は、信長様の御朱印によって命じられているので、それ以外のことと同様に念を入れるようにとの仰せである。謹んで申し上げました。