織田信忠の文書が紹介されていたが、花押がないので判物ではないのだが仮に「元亀2年6月11日崇福寺宛織田信忠判物」とする。しかし、花押のない文書に果たして効力があったかどうか、肝心な点の説明がないのが昨今の歴史番組である。
当寺并門前之事、信長判形有之上者、不可有一切諸役等候、若為下々非分之課役於申懸者、急度可令成敗状如件、
元亀弐年
六月十一日 奇妙(署名だけで花押がない)
崇福寺 侍衣閣下
(書き下し文)
当寺ならびに門前の事、信長判形これあるうえは、一切諸役などあるべからず候、もし下々非分の課役として申し懸くるにおいては、急度成敗せしむべくの状、くだんのごとし
(大意)
当寺と当寺門前の件は、信長の許可がすでに出ているので、一切諸役などを課してはならない。もし下々の者へ正当な理由のない課役を納めよと言いがかりをつける者が現れた場合は、かならず成敗する。趣旨は以上の通りである。
*信長判形:信長は、永禄10年9月竹木伐採、陣取、放火濫妨狼藉を禁じた禁制を崇福寺、北加納、多芸庄椿井郷に出している。北加納は楽市場として有名。
*侍衣:衣鉢侍者(えはつじしゃ)意味は(1)衣服、銭財などのことを執り扱う役名、(2)僧侶に送る書状のあて名の下に添える脇付け。ここでは後者。
現在でも脇付は使われている。
「○○先生 御侍史」・・侍史は貴人のそばに仕える右筆の意味。直接相手に届けるのではなく、右筆を通して差し上げるという意味を持つ。「机下」より敬意が上。
「△△様 御机下」
「××株式会社人事部 御中」
これは現在では組織や団体などに出す場合に使われているが、もともとは「人々御中」(ひとびとおんなか)という形だった。ドラマ「アシガール」中にも「御屋形様 人々御中」と書かれた書状が登場する。
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今回は珍しく研究者である本郷和人氏がゲスト出演された。あまりにも出来の悪い学生を相手にしているようで、さじを投げていたように見えた。番組スタッフの史料解釈がひどく、あれでは単位は取れないと思う。