日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

村上水軍の新史料

毎日新聞
 

「猶条々申合口上候、次来嶋落城之段定而不可有其隠候間、不能申候、恐々謹言

    三月十六日              昭光(花押)」

 

 

(書き下し)

「なお、条々申し合わせ口上候、次に来嶋落城の段定めてその隠れあるべからず候間、申しあたわず候、恐々謹言」

 

 

*恐々謹言:書状の末尾に書く決まり文句、こうした頻繁に使われる文字はくずし方がひどい。縦線一本だけで表す場合も珍しくない。「候」だと点だけで済ます事例は数え切れない。

 

 

書状なのでやはり年代は省略されていて「3月16日」としか記されていない。この記事によれば天正11年(1583)に比定されている。

 

記事では「定而付可有其隠候間」としているが「付」ではなく「不」ではと思うがいかがだろうか。

 
 
河野氏については川岡勉「中世伊予の山方領主と河野氏権力」(2003年)を参照されたい。