賤ヶ岳の戦いで、前田利家が柴田勝家を見限り、羽柴秀吉に与することになった事情を説明する史料がない理由を「考察」しているものを見つけた。
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「最高学府」の誤用をはじめ、史料の書き手が「作家」とでもいいたげな文面は読んでいるこちらが赤面する。
閑話休題、氏は次のようなことを述べる。
実は、東大は前田家と深い繫つながりがあるからではないかと私は思っています。
東大のシンボルの1つに「赤門」があります。東大の本郷キャンパスにある朱塗の門です。実はこれは、江戸時代の大名が将軍家の姫をもらったとき、その格式を示すためにつくられた門なのです。つまり、ステータスシンボルです。
その赤門があるということは、東大の敷地は、もともと大名屋敷の跡だったということです。もっと言えば、東大に敷地を提供した大名が、前田家なのです*1。
しかも前田家というのは、織田、豊臣、徳川と、ずっと家名を守り続けた家柄なので、非常に多くの文字史料を持っています。その中には他には残っていない信長・秀吉時代の貴重な史料も多くあり、まさに歴史資料の宝庫なのです。
こうした背景から、もしかしたらいまだに前田家に遠慮して悪く言えないのかも知れません。でなければ、利家の裏切りを示す同時代史料が残っていないからではないでしょうか*2。
「加賀藩史料」という有名な史料集が戦前から刊行されていることは周知のとおりである。国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードできるのでお試しいただきたい。
国立国会図書館デジタルコレクション - 加賀藩史料. 第1編
(賤ヶ岳は107コマ目以降)
また東京大学史料編纂所編「大日本史料」第11編天正11年4月22日条にも前田利家が柴田勝家を攻めたことを伝える史料が収載されている。
こうしたごく基本的な史料集に触れることなく、利害関係者(のご子孫)に都合が悪いからというのは「加賀藩史料」の出版事情からあきらかに誤りだとわかる。
そしてこう結ぶ。
歴史の多くは勝者がつくるものです。勝者に都合の悪い史料はなかなか残りません。ですので、①文字史料ばかりを追いかけていては「真実」はわかりにくいのです。②敗者の側から見ることによって、「本当のこと」が見えてくると思います。
下線部①は文字史料のみでは史実はわからないとする。むろんこれに異論を唱える者はいないし、歴史学に携わる者はみなつねに念頭に置いている。あえて口にすることでもないことを結論の枕にすることの真意は理解しかねる。
下線部②は①とは無関係で唐突に「敗者」という用語を登場させるものの、敗者側の何をもって史料とするのか言及されていないので、何か格別目新しいことを指摘しているわけではない。また「本当のこと」とは「真実」のことなのだろうが何を指すのかもわかりにくい。
「「文字史料」だけではわからないが」というセリフは、文字史料を究めた人のそれであって、古文書に触れたことのない人が言うべきものではない。プディングの味は食べてみないとわからない、というではないか。食わず嫌いはよろしくない。
柔肌の熱き血潮に触れもみで 寂しからずや道を説く君