本日より、史料を一点取り上げ、小さな話題から日本史をのぞき見るブログを始めて見た。
今日は「もし伊達家領内で落とし物を拾ったら、どうすべきか」という問題を史料に即して、できるだけなるべく可能な限り禁欲的に(できるだけ!!)考えてみよう。
伊達家塵芥集から引用するが、底本として『日本思想体系 中世社会政治思想(上)』(岩波書店、1972年)を使用する。
一、道のほとりにて見つけ候拾物の事、西山の橋もとに札をたて、かの落としたるものの色品を、紛れなく申出で候輩に、返し渡すべき也、しからば十分一の礼をいたし、うけとるべき也、もし又見付候ものながく拘へ置くに付ては罪科たるべき也、(二二一頁)
路傍に落ちていた物を拾った場合、西山にある橋のたもとに立て札をたて、それを落とした物のあれこれの品を正確に答えた者に返しなさい。その場合十分の一をお礼として受け取りなさい。万一、見つけて拾った物を手許に長期間おいていた場合は犯罪である。
現代と異なり、拾い主が町中に立て札を立てるなりして、自力で落とし主を見つけねばならないのは結構大変だ。それでお礼が十分の一なら知らない振りしておいた方がマシかも知れない。戦国大名伊達氏は、拾得物の面倒までは見てくれないようだが、自分の物とする者は罰するとしているので、まったく関知しない、放任主義だったというわけでもないようだ。