日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

伊賀惣國一揆掟書案を読む その2

 (三条、四条)

一、上ハ五十、下ハ拾七をかきり在陣あるへく候、永陣二おゐてハ、番勢たるへく候、然ハ在々所々(踊り字は二の字点)、武者大將ヲ被指定、惣ハ其下知二可被相隨候、并惣國諸寺之老个ハ、國豊饒之御祈疇被成、若仁躰ハ、在陣あるへく候事、

一、惣國諸侍之披官中、國如何様二成行候共、主同前とある起請文を、里々(踊り字は二の字点)ニ可被書候事、

 

(書き下し文)

 

一、上は五十、下は拾七を限り在陣あるべく候、永陣においては、番勢たるべく候、然ば在々所々、武者大將を指定せられ、惣はその下知にあい随わるべく候、ならびに惣國諸寺の老箇は、國の豊饒の御祈疇せられ、若き仁躰は、在陣あるべく候こと、

一、惣國諸侍の披官中、國いかように成り行き候とも、主同前とある起請文を、里々に書かるべく候こと、

 

*仁躰:「じんてい」 人をていねいにいう語、お人、御仁。

 

(大意)

ひとつ、上は五十歳、下は十七歳を限りに在陣しなさい。長期の合戦やにらみ合いになった場合、順番に勤めることとする。そういったことだから、それぞれの郷村ごとに「武者大将」を指名し、すべてそのものの命令に従いなさい。また国中の寺の僧侶は伊賀国中の五穀豊穣をお祈りなされ、若い僧侶は兵役に参加しなさい。

 

ひとつ、惣国の侍たちの家臣は、国が勝とうが負けようがどのような運命を辿ることになっても、惣国の侍を主人同然とする起請文を、郷村ごとに書きなさい。

 

 

 三条目は、合戦に参加すべき者は17歳から50歳までとしており、長期の合戦やにらみ合いになった際は順番に兵を参加させるよう取り決めている。つまり、最前線と兵站のバランスを考慮したのであろう。合戦だからといって、全員が総攻撃に参加するような形ではないことがわかる。また、宗教者は祈祷に専念することと、兵役から免除されていたこと、あるいは軍事と宗教の分業が見られたことが読み取れるが、若い宗教者はやはり必要だったようだ。整理すると、軍事、兵站、祈祷の三本柱で有事に当たるというシステムになる。

 

四条目からは侍大将とその被官が起請文を交わし、神仏に誓約せよと定めていることがわかる。それは「里」ごと、つまり郷村ごとにまとめられ、そこから惣国まで上申文書として集められたものと推測される。この「里々」が惣国一揆の基礎単位だったようだ。また、この侍大将は惣国から任命派遣され、在郷の者たちとは初対面だった可能性もある。わざわざ「主同前とある起請文」を書かせよ、と定めているところから、恒常的な主従関係があったとは思われない。