日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

元亀3年3月18日長命寺宛柴田勝家書下を読む

安土城考古博物館で下記の特別展が開かれているそうで、展示番号16番の柴田勝家発給文書を読んでみる。

特別陳列「重要文化財指定記念 長命寺文書展」 | 滋賀県立安土城考古博物館

 

画像はこちら

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http://azuchi-museum.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/07/h30cyoumeijiten-gazou.jpg

 

(折紙)

当寺之儀我等

拝領*1之内江新

儀非分或在陣

或分米*2等可出之由

申懸族在之由候

所詮*3如有来*4諸役

可為免除候猶以

違乱輩不可有承

引者也仍執達*5如件

 三月十八日 勝家(花押)

     長命寺*6

 

 

(書き下し文)

 

当寺の儀、われら拝領のうちへ新儀非分、あるいは在陣、あるいは分米など出すべきのよし、申し懸けるやからこれあるよし候、所詮あり来たるごとく諸役免除たるべく候、なおもって違乱の輩承引あるべからざるものなり、よって執達くだんのごとし、

 

(大意)

我が分国内に対して、ある者は陣取り、ある者は分米など、新たにいわれのない課役を負担せよと、言い募る者がいるとの噂があるが、結局のところ、当寺については従来通り諸役は免除する。これ以上、これに背く者は容赦しない。以上、信長様の上意である。

 

 

書下とは武家様文書のうち、臣下が主人の命を受け、あるいはあらかじめ与えられた職務権限により、みずからの直状形式で下位の者に発給されたものをそう呼ぶ。 この柴田勝家の書下は書き止め文言に「仍執達如件」とあるので、前者となる。

 

さて元亀3年の近江では、この文書から織田領国内で様々な課役の負担を強要する旧勢力が存在していたことが読み取れる。

 

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                    日本大百科全書」より

上図においては、ピンクで塗りつぶされている織田領国であるが、現実には一円的支配が貫徹していたとはいえないようだ。そのような横合いからの干渉を排除して欲しいと信長に訴えた成果なのだろうか、この文書を発給してもらうことが可能になったのだろう。

 

「如有来」という文言はしばしば目にする。旧例を踏襲するケースは少なくない。

 

*1:分国

*2:年貢米、田の面積に斗代(年貢徴収率)を乗じて算出する

*3:要するに

*4:従来通り

*5:上位の者の意を受けて下位の者に伝達すること

*6:近江国

永禄2年10月19日口羽通良宛毛利元就書状を読む 2018年10月9日放送「開運!なんでも鑑定団」

鑑定額800万円の毛利元就書状だが、その釈文にやや問題がある。

 

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なお、全体はこちらを参照されたい。

www.tv-tokyo.co.jp

 

まず青い丸で囲った部分の「踊り字」が「二の字点」=「〻」で翻刻されているところは驚きである。NHKなどの歴史番組はこういった基本的なことをおろそかにするので、ぜひ爪の垢でも煎じて飲んでいただきたい。

 

つぎに赤い丸で囲った部分は誤植であったり、原文にない文字が加えられているので訂正してみた。

 

あらためて読んでみよう。

 

此条態可申候処飛脚到来

候之間令申候河本*1*2り御八幡御神

躰可有御帰之由尤目出*3候然間従

前〻祝子*4いたき*5申候て早〻御帰

可為肝要候於祝子も不可有異

儀之由被申届頓*6御調*7可為肝要候

恐〻謹言

  十月十九日   毛利元就(花押)

 刑部太輔*8殿

    貴報*9

 

(書き下し文)

この条わざわざ申すべく候ところ、飛脚到来候のあいだ申せしめ候、河本より御八幡御神躰お帰りあるべきのよしもっともにめで候、しかるあいだ前〻より祝子懐き申し候て、早〻お帰り肝要たるべく候、祝子においても異儀あるべからざるのよし、申し届けられ、やがておととのい肝要たるべく候、恐〻謹言、

 

(大意)

この件についてご返事すべきところですが、飛脚が到着しましたのでお答えします。河本郷より八幡神のご神体がお戻りになったそうで実に喜ばしいことです。それで以前から神職を擁して早々にお戻りになることが重要です。神職の者どもにおいても異議なしとのこと、お聞き届けになり、すぐにでも調整することが大事です。謹んで申し上げました。

 

石見国邑智郡河本郷・安芸国高田郡吉田周辺図

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                    「日本歴史地名大系」島根県より作成

「日本歴史地名大系・広島県」の「亀尾山神社」によれば、「永禄二己未、重造棟札に刑部大輔通良とあり姓闕」とある。宛所の 「刑部太輔」はこの「通良」つまり志道/口羽通良であろう。

 

さらに、永禄2年8月河本郷を所領としていた小笠原氏が毛利元就に下り、河本郷が毛利領になったとあることから*10、移住することになったと思われる。

 

 

*1:石見国河本郷

*2:「よ」の変体仮名、詳しくはこちらを参照されたい 

http://www.book-seishindo.jp/kana/onjun_3.html#yo

*3:愛でる、感動すべき、美しい

*4:ハフリコ、神職

*5:懐く

*6:ヤガテ、ただちに、すぐに、すなわち

*7:トトノイ

*8:志道通良 

口羽通良 - Wikipedia

*9:返答書の脇付

*10:同書・島根県の「河本郷」

慶長6年4月17日松井康之宛片桐且元ほか3名連署奉書を読む

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八代市立博物館蔵 http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/2009/matsuimonjo/17.jpg

 

(折紙)

一書申入候仍豊後

国之内速水郡*1

之残壱万七千百

六拾石余之分

御代官*2御給人*3

被為付候内其方へ

当座預ケ置申候

条仕置等可

被申付候重而*4

御用次第ニ切手

----------------------

可差遣候恐々

謹言

    加藤喜左衛門

 四月十七日   正次(花押)

    大久保十兵衛

         長安(花押)

    彦坂小刑部

         元正(花押)

    片桐市正*5

         且元(花押)

 

(貼紙・朱筆)

「弐冊目

  七十二番」

 松井佐渡*6殿

      御宿所

 

(書き下し文)

 

一書申し入れ候、よって豊後国のうち速水郡ののこり壱万七千百六拾石余の分、御代官・御給人付けさせられ候うち、その方へ当座預け置き申し候条、仕置など申し付けらるべく候、かさねて御用次第に切手差し遣わすべく候、恐々謹言、

 

(大意)

 手紙をもって申し入れます。豊後国速水郡のうち幕領・大名領以外の残り1万7160石あまりを、その方へ当分の間預け置きますので、統治をお任せします。今後必要とあらば文書を発給します。謹んで申し上げました。

 

 

豊後国速水(速見)郡周辺図

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ここで連署しているのは片桐且元以外、家康の直臣で「地方巧者」と呼ばれた者である。とすれば、片桐はその筆頭という位置づけになろうか。

 

なお、「貼紙・朱筆」は後世行われた文書整理によってつけられた番号である。

 

*1:速見郡

*2:徳川家康の代官

*3:家康の直臣

*4:今後、そのうちに

*5:いちのかみ、市司の長官

*6:松井康之

天正18年7月25日佐竹義久宛嶋清興書状を読む????  その1

 前回に続いて嶋清興書状を読んでみる。

 

www.nikkei.com

www.sankei.com

mainichi.jp

 

 (折封ウハ書)

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(折紙)

 

(折封ウハ書)

「東中*1様 御陣所   嶋左

             清興」

 

  尚々不及申候へ共
  いつれのことも無御
  失念様専一候以上

□(一カ)今日者不申承候仍
上様*2明日御成と申候
但気合*3外悪候間
今日迄不罷出候条慥
之儀ハ不存候
一、指出*4悉出来候て候や
被遣候*5哉無御油断御
かせき*6候て可然候
□(一カ)御兵糧米何ほとか
相済候哉是又迚之儀ニ
切々御催促*7不被請
様尤候若請取様なと
-------------
[      ]候を
可出候念を入候て可進之候
一、是御陣替も可為進之候
諸事御由段有間敷候
此表ニ被残置仁躰誰
ヲのこし候哉少々不入御
人数なとハ御国本迄
先へ被遣候て可然候哉
惣別奥口之儀ハ御勝
手たり候間人質之
しゆり*8城ニ被請取候
御才覚なとも御一人と
御かせき尤候是左様ニ
可参も(闕字)内府様*9
ありきもを御とり給シ
御心も付申間貴殿と推
量候様躰ニより今晩以
委細可申候恐々謹言
 七月廿五日   清興(花押)

 

 

(書き下し文)

 

ひとつ、今日は申し承らず候、よって上様明日御成と申し候、ただし気合ほか悪しく候あいだ、今日まで罷り出でず候条、たしかの儀は存ぜず候、


ひとつ、指出ことごとく出来候て候や、遣わされ候や、御油断なく御かせき候てしかるべく候、

 

ひとつ、御兵糧米何ほどかあい済み候哉、これまたとてもの儀に、切々御催促請けられざるよう様もっともに候、もし請け取るようなど[      ]候を出すべく候、念を入れ候てこれを進らすべく候、

ひとつ、この御陣替もこれを進めさすべく候、諸事ご油断あるまじく候、この表に残し置からる仁躰、誰を残し候や、少々入らざる御人数などは、御国本まで先へ遣わされ候て然るべく候や、惣別奥口の儀は御勝手たり候あいだ、人質の修理、城に請け取られ候御才覚なども、御一人と御かせきもっともに候、これ左様に参るべくも内府様に歩きもを御とりたまいし、御心も付け申す旨、貴殿と推量候様躰に候あいだ、今晩委細もって申すべく候、恐々謹言、

  なおなお申すにおよばずそうらえども、いづれのこと

  も御失念なきよう専一に候、以上、 

 

 

(大意)

ひとつ、今日は承っておりませんが、上様は明日御成りです。ただ健康状態が思いのほか悪いので、今日までお伺いできなかった件、確実なことは申上げられません。


ひとつ、指出はことごとく済ませましたでしょうか、それとも検地役人を遣わされましたでしょうか、いずれにしてもご油断なくお働きになることが、ようございましょう。


ひとつ、御兵糧米の確保はどのくらいお済みでしょうか、これまた重要なことですので、たびたび上様の御催促を請けられぬようにしてください。もし催促を請け取るようなことでもあれば[      ]を出してください。入念に行ってください。

 

 

(以下「その2」へ)      

 

 

*1:佐竹(東)中務大輔義久

*2:秀吉

*3:気分、健康状態

*4:在地土豪国人領主の申告にもとづく検地

*5:役人を在地に派遣して行う検地

*6:仕事に励む

*7:秀吉による催促と思われる

*8:「修理」人名か

*9:織田信雄

元和5年3月21日洞林寺宛小笠原忠政判物を読む

 

www.kobe-np.co.jp

 

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(竪紙)

 

播州加東郡垂井村住吉

社領高拾石并山林竹木任

先規令寄附候弥以神事

祭礼等無退転*1可相勤

者也

        小笠原右近大夫

 元和五年三月廿一日    忠政(花押)

         神主

           神宮寺

 

(書き下し文)

播州加東郡垂井村住吉社領高十石ならびに山林・竹木、先規に任せ寄附せしめ候、いよいよもって神事祭礼など退転なくあい勤むべきものなり、

 

 

播磨国加東郡垂井村の位置

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                  「日本歴史地名大系」兵庫県より作成

 

箱に書かれた「洞林寺」は不明だが、おそらく宛所の「神宮寺」を指すのだろう。「神主」と「寺」が矛盾なく同居するところは興味深い。

 

 

*1:中途でやめること