日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

近世における安閑天皇陵の土地利用 慶応2年10月23日陵敷地買上絵図

Fig 安閑陵敷地買上絵図

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                     『羽曳野市史』第5巻、口絵2

 

元治元年11月、河内国古市郡古市村庄屋2名、年寄3名、百姓代6名が信楽代官所へ「御陵鋪御買上直段書上帳」を提出している。上図はこれを可視化したものである。

 

安閑天皇陵(闕字)御陵之儀、今般御修補*1被為在、書面之地所御陵鋪地相成、御買上奉願上、尤右地所別帋証文写之通先年中者譲り渡仕、

 

(書き下し文)

安閑天皇陵、みささぎの儀、今般御修補あらせられ、書面の地所、御陵鋪地にあいなり、御買上願い上げたてまつり、もっとも右地所別紙証文写のとおり、先年中は譲り渡しつかまつり、

                      同上書673頁

 

この代銀は1反あたり銀554匁1分2厘、合計4貫904匁(石高7石8斗5合相当)と記されている。

 

注目すべきは下線部の「みささぎ鋪地にあいなり」で、この修陵事業以降は陵墓鋪地と「なる」という土地利用の変更を示している。

*1:文久の修陵