日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正18年5月22日稲葉重通宛豊臣秀吉朱印状

 

 

   石井与次兵衛*1船ニ積、当陣可相越八木*2之事

 

一、弐百五十石        御兵粮米

 

一、三拾九石          与次兵衛かこ*3六十五人はん米*4

                     六十日分

  

  合弐百八拾九石

 

右之通舟積ニ可相越候也

 

 天正十八年五月廿二日*5 (朱印)

 

       稲葉兵庫頭とのへ*6

 

 

(書き下し文)

 

   石井与次兵衛船に積み、当陣へ相越すべき八木のこと

 

一、弐百五十石        御兵粮米

 

一、三拾九石          与次兵衛水主六十五人飯米

                     六十日分

  

  合わせて弐百八拾九石

 

右の通り舟積に相越すべく候なり

 

 

(大意)

 

(省略)

 

 

 

石井与次兵衛は海賊として瀬戸内海を中心に活動していたらしい。天正5年3月13日に備後国御調郡(みつぎぐん)浄土寺に絵馬を奉納した際、「播州明石郡船上(ふなげ)の住人石井与次兵衛尉」と名乗っている*7。その後信長、秀吉に仕えた。

 

さてここでは39石が65人*8の60日分であるとして、1人あたり1日分の飯米を計算してみると、

 

   39/65/60=0.01石=1升

 

となる。『雑兵物語』では1人につき米は6合、塩が1勺、味噌が2勺*9とあり、非戦闘員に1升はかなり多めである。銭代わりに余計に持たせた可能性もある。

 

ちなみに『雑兵物語』は続いてこう述べている。

 

馬蔵「米を一度に渡せば、上戸などは酒にして飲んでしまうので、三日四日分を一度に渡し、五日以上分は渡さないものだと心得るが五蔵殿はどう思われる」

 

五蔵「十日分も一度に渡せば、八日九日分は酒にして飲んでしまい、餓え死ぬだけだ。二日三日分を飲んでしまっても、その程度の断食なら耐えられよう。「吾妻鏡」に関東から西国へ討って出た軍勢が飯米に詰まり、具足類を売り払って米を喰らって、具足なしで先駆けをしたという話もある。敵に討ち取られて死ぬのは本望だが、飯米に逼塞して餓え死ぬことだけは御免蒙りたいものだ」

 

米を陣中で酒にしてしまう者が多くいたようで興味深い。

 

 

*1:秀吉の船奉行、後述

*2:「八木」は「米」の時を分解したもの

*3:水主=船員

*4:飯米

*5:グレゴリオ暦1590年6月23日、ユリウス暦同年同月13日

*6:重通。稲葉一鉄の息子、美濃大野郡清水城主1万2000石

*7:『広島県史 古代中世資料編 4』1185頁

*8:計算の都合上与次兵衛を入れて65人とした方が割り切れる

*9:岩波文庫、82頁