一、弐百五十石 御兵粮米
六十日分
合弐百八拾九石
右之通舟積ニ可相越候也
天正十八年五月廿二日*5 (朱印)
稲葉兵庫頭とのへ*6
(書き下し文)
石井与次兵衛船に積み、当陣へ相越すべき八木のこと
一、弐百五十石 御兵粮米
一、三拾九石 与次兵衛水主六十五人飯米
六十日分
合わせて弐百八拾九石
右の通り舟積に相越すべく候なり
(大意)
(省略)
石井与次兵衛は海賊として瀬戸内海を中心に活動していたらしい。天正5年3月13日に備後国御調郡(みつぎぐん)浄土寺に絵馬を奉納した際、「播州明石郡船上(ふなげ)の住人石井与次兵衛尉」と名乗っている*7。その後信長、秀吉に仕えた。
さてここでは39石が65人*8の60日分であるとして、1人あたり1日分の飯米を計算してみると、
39/65/60=0.01石=1升
となる。『雑兵物語』では1人につき米は6合、塩が1勺、味噌が2勺*9とあり、非戦闘員に1升はかなり多めである。銭代わりに余計に持たせた可能性もある。
ちなみに『雑兵物語』は続いてこう述べている。
馬蔵「米を一度に渡せば、上戸などは酒にして飲んでしまうので、三日四日分を一度に渡し、五日以上分は渡さないものだと心得るが五蔵殿はどう思われる」
五蔵「十日分も一度に渡せば、八日九日分は酒にして飲んでしまい、餓え死ぬだけだ。二日三日分を飲んでしまっても、その程度の断食なら耐えられよう。「吾妻鏡」に関東から西国へ討って出た軍勢が飯米に詰まり、具足類を売り払って米を喰らって、具足なしで先駆けをしたという話もある。敵に討ち取られて死ぬのは本望だが、飯米に逼塞して餓え死ぬことだけは御免蒙りたいものだ」
米を陣中で酒にしてしまう者が多くいたようで興味深い。