日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正16年2月20日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状

 

至肥後兵粮三千石*1被遣之候、然者従小倉*2ちりく*3迄中途にて、黒田勘解由*4・森壱岐守*5手前より其方*6請取之、ちりくへ相届、龍造寺民部太輔*7ニ相渡、舟にて早〻熊本浦*8迄相着、検使*9共ニ可相渡由、可被申付候、陸奥守*10事、尼崎*11迄罷上後、弥曲事ニ被思召候、雖然肥後へ被遣候検使共罷上次第ニ様躰被聞召、猶以被遂御糺明、陸奥守被加御成敗*12候歟、又ハ国端*13へも被遣候歟否*14之後*15、可被(闕字)仰出とて、先尼崎ニ被留置候也、

    二月廿日*16 (朱印)

      小早川左衛門佐とのへ*17

 

(三、2427号)

 

(書き下し文)

 

肥後にいたり兵粮三千石これを遣わされ候、しからば小倉より千栗まで中途にて、黒田勘解由・森壱岐守手前よりその方これを請け取り、千栗へ相届け、龍造寺民部太輔に相渡し、舟にて早〻熊本浦まで相着き、検使ともに相渡さるべき由、申し付けらるべく候、陸奥守のこと、尼崎まで罷り上るのち、いよいよ曲事に思し召めされ候、しかりといえども肥後へ遣わされ候検使ども、罷り上り次第に様躰聞し召され、なおもって御糺明を遂げられ、陸奥守御成敗を加えられ候か、または国端へも遣わされ候可否ののち、仰せ出ださるべくとて、まず尼崎に留め置かれ候なり、

 

(大意)

 

肥後へ兵粮米三千石を送ることにしましたので、小倉から千栗まで、黒田孝高と毛利吉成とそなたが千栗まで輸送し、そこで龍造寺政家に渡し、船で熊本の浦まで届け、検使も同船させるように手配するよう命じました。成政は、尼崎まで出頭させたのち、罪状を申し渡すつもりです。しかしながら、肥後へ派遣した検使たちが上洛し次第詳しく事情を聞き、是非を糺し、死罪とするか遠島とするか決したのち罪状を言い渡すべきと思い、尼崎に留め置いています。

 

Fig.1 肥前国三根郡千栗周辺図

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                   『日本歴史地名大系 佐賀県』より作成

本文書はの趣旨は次の二点である。すなわち、肥後熊本へ兵粮米と検使を送るので、豊前小倉・肥前千栗間を黒田孝高・毛利吉成・小早川隆景が、千栗・熊本間を龍造寺政家が逓送するように命じたこと。および佐々成政の処遇について検使が詳細を報告するまで尼崎に留め置いたことである。

 

このように一定の距離ごとに駅(うまや)を備え、駅馬・伝馬を置く交通通信制度を駅伝と呼ぶ。長距離リレー競走「駅伝」はこれに由来する。秀吉はこのように兵站(logistics)を重要視していた。ただしこの時代、兵士には米と金銭が半々で支払われており、また戦場で市が立つところから見て「現地調達」も織り込んでいたようだ。「現地調達」には売買だけではなく「敵地」での掠奪行為も含まれる*18

 

さて「逓送」の「逓」という字に現在お目にかかることはまずないが、かつては通信と交通運輸をつかさどる逓信省に逓信大臣がいた。「逓信」とは「音信を順次にとりつぎ送り伝えること」で、「逓」には「送る、互いに、次第に」という意味がある。

 

従量制だが利用量に正比例するのではなく、遠距離になればなるほど1営業キロあたりの運賃が割安になる制度を遠距離逓減制という。鉄道で長距離移動する際に一筆書きの要領で組み合わせると普通運賃を節約できるが、職員の熟練度を前提とするため誰でも同じようなサービスを受けられるわけではない。懇切丁寧にこちらが説明せねばならないケースすらある。むろん予算に余裕がある向きにはその程度の「お得感」など問題にはなるまい。しかしそうでない場合は、より高い満足感、多幸感を得られること請け合いである。

 

Fig.2 鉄道料金遠距離逓減制

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出典 https://twitter.com/unchin_imouto/status/1394628952350552071/photo/1

利用するには窓口で目的地のほかに、一筆書きとなるように路線名と経由駅を告げる必要がある。一筆書きで有名な都市といえば、プロイセン*19やドイツ国*20領ケーニヒスベルク(Königsberg)、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)領カリーニングラード(Калининград)を思い起こす方も多いと思われる。ソビエト連邦解体後カリーニングラードはロシア連邦の飛地として一躍有名になった。ガチガチの中央集権制を採る日本で連邦制と聞いてもピンと来ないが、連邦制を採る国は意外に多い。アメリカ、ロシア、ドイツ(西ドイツ)、スイス、オーストリア、オーストラリア、ブラジル、メキシコなどである。ただし連邦を構成する「州」の独立性はそれぞれの国により異なる。なおソビエト連邦の「連邦」が「Союз」(サユース/ソユーズ=「同盟」。英語のUnion)であるのに対して、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国や現ロシア連邦の「連邦」は「Федерация」(フェデラツィア。英語のFederation)で、けっして「連邦」という訳語に惑わされてはならない。

 

 

余談

YouTubeにはソビエト連邦国歌が山ほどアップされている。日本語訳が付されたものも多いが、「ソユーズ」の訳語は意見が分かれるようで「同盟」、「連邦」相半ばしている。

 

またヨーロッパで行われるスポーツ大会で、本来ならロシア国歌を流すべきところ、ソビエト連邦国歌を流してしまい、それをロシアのテレビ局が「またソビエト国歌が流されました」とニュースで報じることもあるようだ*21。昨年イタリアでも同様の事件があった。なお「Italy」の次に付された「:)」は笑顔を反時計回りに90度回転させたもので、日本語の「笑」を意味する。

 

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2018年ドイツのケルンでも、やけになったのか選手が途中の「サヴィエツキー・サユース」あたりから歌い出す始末である*22

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*1:1石=10斗=100升=180リットル。米は容積で量り売られるものであったが、最近は重量に置き換わった

*2:豊前国企救郡

*3:肥前国三根郡千栗、図1参照。「チクリ」ではなく「チリク」と読む

*4:孝高

*5:毛利吉成

*6:隆景。龍造寺政家宛同日付2438号文書に「千栗までは、森壱岐・黒田勘解由ならびに小早川相着くべく候あいだ」とある

*7:政家

*8:肥後熊本

*9:事実を検証するため派遣される役人。すでに佐々成政の「失政」が肥後国人一揆を招いていたと秀吉は考えているので、ここでは「失政」の責任の軽重を調べることを目的とする役人

*10:佐々成政

*11:摂津国河辺郡

*12:「成敗」はもともと「事のることとれること」=「成功と失敗」、「勝敗」の意で、とくに「御成敗式目」のように「政務を執る」意味で使われることが多かった。しかし時代が下るにつれて「罰する」、特に「処刑する」意味に限定されていく。また秀吉が好んで使う「仕置」も「領主が権力的に支配する」意味だったが、「成敗」同様「罰する」意味に限定されていく

*13:「端」は中心から離れた場所。「国端」で都から離れた遠方の地、僻地

*14:「歟否」で「可否」の意か

*15:死罪とするか遠島とするか決したのち

*16:天正16年

*17:隆景

*18:藤木久志著、清水克行解説『戦国の村を行く』朝日新書、2021年など

*19:Preußen

*20:Deutsches Reich。1871年の帝政ドイツからヴァイマール期を経て、1945年にナチスドイツが崩壊するまでの正式名称

*21:興味のある方はYouTubeで「Гимн СССР」を検索されたい

*22:30秒後