国之掟覚
一、鬼か城*1木下平大夫*2物主*3ニ相定候、然者八東郡自分*4ニ遣之、知頭郡*5を磯部*6与八木*7両人ニ半分ちわり*8、鬮取ニいたさるへく候、右両人を平大夫ニ相付候間*9、其方先備*10ニ被相定、弟子同前ニ可有覚悟*11事、
一、垣屋平右衛門尉*12ニ巨能郡*13遣之条、亀井新十郎*14一そなへ*15被相定、其方*16先手*17ニ備之儀可在之事*18、
一、亀井新十郎本国*19へ帰国候間ハ、鹿野郡*20申付候間、垣屋平右衛門尉与一備ニ相定、其方先手ニ備儀可在之事、
一、山名殿*21・禅高*22御両人之儀者、其方覚悟次第ニ何方を以成共、御知行被相定*23、*24有馳走、そなへ之儀、其方きわ*25ニ可然事、
一、美含郡*26天正十年とし*27之儀者、鳥取廻不作も*28過半可在之かと秀吉分別いたし*29、右之一年之儀者*30、其方へ遣候間、給人不付ニ兵粮以下可被覚悟事*31、
一、国之百姓ニ種籾作食*32三千石かし*33候、米ニ相定候間*34、一和利ニ*35相定*36かし可被申候事、
一、多賀備中、吉岡*37ニ可被置候、吉岡ニ在之籾を千俵遣候、但ニ(ママ)米ニつもつて*38かわり*39を被出、此籾ハ種もミニ百姓二可被借遣事*40、
以上、
筑前守
天正九年十一月四日 秀吉(花押)
善浄坊*41
「一、351号、110~111頁」
(書き下し文)
国の掟覚
一、鬼か城木下平大夫物主に相定め候、しからば八東郡自分にこれを遣し、知頭郡を磯部と八木両人に半分地割り、鬮取に致さるべく候、右両人を平大夫に相付け候あいだ、其方先備に相定められ、弟子同前に覚悟あるべきこと、
一、垣屋平右衛門尉に巨能郡これを遣すの条、亀井新十郎一備相定められ、其方先手に備の儀これあるべきこと、
一、亀井新十郎本国へ帰国候あいだは、鹿野郡申し付け候あいだ、垣屋平右衛門尉と一備に相定め、其方先手に備の儀これあるべきこと、
一、山名殿・禅高御両人の儀は、其方覚悟次第に何方をもってなるとも、御知行相定められ、馳走あるべく備の儀、其方際にしかるべきこと、
一、美含郡天正十年歳の儀は、鳥取廻り不作も過半これあるべきかと秀吉分別いたし、右の一年の儀は、其方へ遣し候あいだ、給人付けずに兵粮以下覚悟せらるべきこと、
一、国の百姓に種籾・作食三千石借し候、米に相定め候あいだ、一割に相定め借し申さるべく候こと、
一、多賀備中、吉岡に置かるべく候、吉岡にこれある籾を千俵遣し候、ただし米に積もって替りを出だされ、この籾は種籾に百姓に借し遣さるべきこと、
以上、(大意)
国分に際しての掟書
一、若桜鬼ヶ城の城主を荒木重堅とするので、彼に因幡八東郡を与える。智頭郡を磯部康氏と八木豊信両名で折半し、くじ引きで知行地を定める。磯部・八木を重堅の寄子とするので、継潤は「先備」とし彼らを弟子同様に面倒を見ること。
一、垣屋光政に因幡国巨能郡を与えるので、茲矩と光政を「一備」とし、継潤が「先備」としてつとめること。
一、茲矩が因幡国へ戻るので、鹿野城主とする。光政とともに「一備」とするので継潤が「先備」をつとめること。
一、山名暁煕殿・豊国御両人は、継潤の裁量でどこにでも知行地を定め、奔走できるように継潤の判断で「備」に組み入れること。
一、但馬国美含郡の来年天正10年の実り具合は、鳥取城周辺も不作である田畠が大半なので同様であろうと判断し、同年の籾を継潤に与えるので、給人に配らず兵粮などとして継潤が差配すること。
一、因幡国の百姓に種籾・作食三千石を貸し与えるように。ただし玄米で量ったものとし、利率は1割と定めて貸し与えること。
一、多賀備中を高草郡吉岡庄に配置するので、吉岡に備蓄している籾千俵を与える。ただし玄米で量って千俵とし、これは種籾に用途を限定して百姓に貸し与えること。
図1 但馬国美含郡
図2 因幡国
全7ヶ条のうち、前半4ヶ条は秀吉与力または家臣への知行割、後半3ヶ条が勧農に関するものである。
「先備」と「一備」については先陣と本陣の第一陣と解釈してみた。「先」には「上位の」という意味もあるので、「先備」ー「一備」は平時においても寄親・寄子関係として機能していたのかも知れない。
*2:荒木/木下重堅
*3:部隊の長
*4:重堅
*6:康氏
*7:豊信
*8:「地割」、知行割
*9:磯部・八木両名を荒木重堅の与力とするので
*10:先陣
*11:配慮する、弟子同様に面倒を見よの意
*12:光政
*14:茲矩
*15:「備」、本陣の第一陣カ
*16:継潤
*17:先陣
*21:暁煕
*22:山名豊国
*23:継潤の裁量で山名暁煕・豊国両名の知行を与え。「御」がつくのは「山名殿」と呼応
*24:「可」脱カ
*25:「際」、継潤の裁量で
*27:「歳/年」、穀物、とくに稲の実り具合。翌天正10年の実り具合
*28:鳥取城周辺は作付できない。「不作」の原因は災害や戦乱などさまざま。ここでは鳥取城攻めにおいて田畠が踏み荒らされたり、百姓が戦乱を避け逃散したことなどによる。天正9年5月19日重富新五郎宛吉川経家書状にも「当国借(錯)乱につきて作などの儀大分仕らず候て相見え候」(『別集吉川家文書』143号)とあり、戦乱により耕作ができないと経家も認識していたようだ
*29:過半の郷村が作付できないだろうから、但馬国美含郡も同様だろうと思慮した
*31:給人に直接稲を渡さずに、継潤が兵粮として差配するように
*32:翌年苗代に播種するための籾と食用の米
*33:「借」、貸し付ける
*34:「稲」から籾殻を取り去った状態を「玄米」、さらに精白して「精米」=白米になる。ドラマでおなじみの、一升瓶に米を入れて棒で搗くシーンは玄米を精白する作業。稲→玄米→精米の順に体積・重量が小さくなるので、あらかじめ「米」で換算してと指定している。ここでは「種籾作食三千石」は玄米で量ると三千石の意
*35:「割」、利率1割
*36:利足の上限をあらかじめ1割に定めて
*38:積もって、玄米で見積もって
*39:替。引替える品、ここでは籾
*40:この籾は食用にせず、種籾として貸し付けること。食べてしまわないように用途を限定している
*41:宮部継潤