日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正9年11月4日宮部継潤宛羽柴秀吉国之掟覚

    国之掟覚

一、鬼か城*1木下平大夫*2物主*3ニ相定候、然者八東郡自分*4ニ遣之、知頭郡*5を磯部*6八木*7両人ニ半分ちわり*8、鬮取ニいたさるへく候、右両人を平大夫ニ相付候間*9、其方先備*10ニ被相定、弟子同前ニ可有覚悟*11事、

一、垣屋平右衛門尉*12ニ巨能郡*13遣之条、亀井新十郎*14一そなへ*15被相定、其方*16先手*17ニ備之儀可在之事*18

一、亀井新十郎本国*19へ帰国候間ハ、鹿野郡*20申付候間、垣屋平右衛門尉一備ニ相定、其方先手ニ備儀可在之事、

一、山名殿*21・禅高*22御両人之儀者、其方覚悟次第ニ何方を以成共、御知行被相定*23*24有馳走、そなへ之儀、其方きわ*25ニ可然事、

一、美含郡*26天正十年とし*27之儀者、鳥取廻不作も*28過半可在之かと秀吉分別いたし*29、右之一年之儀者*30、其方へ遣候間、給人不付ニ兵粮以下可被覚悟事*31

一、国之百姓ニ種籾作食*32三千石かし*33候、米ニ相定候間*34、一和利ニ*35相定*36かし可被申候事、

一、多賀備中、吉岡*37ニ可被置候、吉岡ニ在之籾を千俵遣候、但ニ(ママ)米ニつもつて*38かわり*39を被出、此籾ハ種もミニ百姓二可被借遣事*40

   以上、

               筑前

 天正九年十一月四日        秀吉(花押)

     善浄坊*41

 

                                 「一、351号、110~111頁」

 

(書き下し文)

      国の掟覚
一、鬼か城木下平大夫物主に相定め候、しからば八東郡自分にこれを遣し、知頭郡を磯部と八木両人に半分地割り、鬮取に致さるべく候、右両人を平大夫に相付け候あいだ、其方先備に相定められ、弟子同前に覚悟あるべきこと、
一、垣屋平右衛門尉に巨能郡これを遣すの条、亀井新十郎一備相定められ、其方先手に備の儀これあるべきこと、
一、亀井新十郎本国へ帰国候あいだは、鹿野郡申し付け候あいだ、垣屋平右衛門尉と一備に相定め、其方先手に備の儀これあるべきこと、
一、山名殿・禅高御両人の儀は、其方覚悟次第に何方をもってなるとも、御知行相定められ、馳走あるべく備の儀、其方際にしかるべきこと、
一、美含郡天正十年歳の儀は、鳥取廻り不作も過半これあるべきかと秀吉分別いたし、右の一年の儀は、其方へ遣し候あいだ、給人付けずに兵粮以下覚悟せらるべきこと、
一、国の百姓に種籾・作食三千石借し候、米に相定め候あいだ、一割に相定め借し申さるべく候こと、
一、多賀備中、吉岡に置かるべく候、吉岡にこれある籾を千俵遣し候、ただし米に積もって替りを出だされ、この籾は種籾に百姓に借し遣さるべきこと、
   以上、

(大意)

 

    国分に際しての掟書

一、若桜鬼ヶ城の城主を荒木重堅とするので、彼に因幡八東郡を与える。智頭郡を磯部康氏と八木豊信両名で折半し、くじ引きで知行地を定める。磯部・八木を重堅の寄子とするので、継潤は「先備」とし彼らを弟子同様に面倒を見ること。

一、垣屋光政に因幡国巨能郡を与えるので、茲矩と光政を「一備」とし、継潤が「先備」としてつとめること。

一、茲矩が因幡国へ戻るので、鹿野城主とする。光政とともに「一備」とするので継潤が「先備」をつとめること。

一、山名暁煕殿・豊国御両人は、継潤の裁量でどこにでも知行地を定め、奔走できるように継潤の判断で「備」に組み入れること。

一、但馬国美含郡の来年天正10年の実り具合は、鳥取城周辺も不作である田畠が大半なので同様であろうと判断し、同年の籾を継潤に与えるので、給人に配らず兵粮などとして継潤が差配すること。

一、因幡国の百姓に種籾・作食三千石を貸し与えるように。ただし玄米で量ったものとし、利率は1割と定めて貸し与えること。

一、多賀備中を高草郡吉岡庄に配置するので、吉岡に備蓄している籾千俵を与える。ただし玄米で量って千俵とし、これは種籾に用途を限定して百姓に貸し与えること。

 

 

 図1 但馬国美含郡

f:id:x4090x:20200209181517p:plain

                    『国史大辞典』「但馬国」より作成

図2 因幡国  

f:id:x4090x:20200209181614p:plain

                    『国史大辞典』「因幡国」より作成

全7ヶ条のうち、前半4ヶ条は秀吉与力または家臣への知行割、後半3ヶ条が勧農に関するものである。

 

「先備」と「一備」については先陣と本陣の第一陣と解釈してみた。「先」には「上位の」という意味もあるので、「先備」ー「一備」は平時においても寄親・寄子関係として機能していたのかも知れない。

 

*1:若桜鬼ヶ城因幡国八東郡

*2:荒木/木下重堅

*3:部隊の長

*4:重堅

*5:因幡国智頭郡

*6:康氏

*7:豊信

*8:「地割」、知行割

*9:磯部・八木両名を荒木重堅の与力とするので

*10:先陣

*11:配慮する、弟子同様に面倒を見よの意

*12:光政

*13:因幡国巨濃郡、のちの岩井郡

*14:茲矩

*15:「備」、本陣の第一陣カ

*16:継潤

*17:先陣

*18:垣屋光政・亀井茲矩を宮部継潤の与力とする

*19:因幡国

*20:鹿野城、気多郡

*21:暁煕

*22:山名豊国

*23:継潤の裁量で山名暁煕・豊国両名の知行を与え。「御」がつくのは「山名殿」と呼応

*24:「可」脱カ

*25:「際」、継潤の裁量で

*26:但馬国。美組郡とも

*27:「歳/年」、穀物、とくに稲の実り具合。翌天正10年の実り具合

*28:鳥取城周辺は作付できない。「不作」の原因は災害や戦乱などさまざま。ここでは鳥取城攻めにおいて田畠が踏み荒らされたり、百姓が戦乱を避け逃散したことなどによる。天正9年5月19日重富新五郎宛吉川経家書状にも「当国借(錯)乱につきて作などの儀大分仕らず候て相見え候」(『別集吉川家文書』143号)とあり、戦乱により耕作ができないと経家も認識していたようだ

*29:過半の郷村が作付できないだろうから、但馬国美含郡も同様だろうと思慮した

*30:天正10年分の作付用稲

*31:給人に直接稲を渡さずに、継潤が兵粮として差配するように

*32:翌年苗代に播種するための籾と食用の米

*33:「借」、貸し付ける

*34:「稲」から籾殻を取り去った状態を「玄米」、さらに精白して「精米」=白米になる。ドラマでおなじみの、一升瓶に米を入れて棒で搗くシーンは玄米を精白する作業。稲→玄米→精米の順に体積・重量が小さくなるので、あらかじめ「米」で換算してと指定している。ここでは「種籾作食三千石」は玄米で量ると三千石の意

*35:「割」、利率1割

*36:利足の上限をあらかじめ1割に定めて

*37:因幡国高草郡吉岡庄

*38:積もって、玄米で見積もって

*39:替。引替える品、ここでは籾

*40:この籾は食用にせず、種籾として貸し付けること。食べてしまわないように用途を限定している

*41:宮部継潤