天正から文禄年間にかけての近世初期検地帳を眺めていると、ときどき偉そうな名前を名乗っている百姓に出くわすことがある。
Fig.1 文禄3年10月摂州[虫損]郡椎堂村御検地帳
イには「とくら 惣作」、ロは「同ノ 彦衛門尉」、ハは「二郎衛門尉」、二には「とくら 八郎衛門」とある。
「とくら」は隣村の利倉村で、「惣作」は利倉村の全構成員の名請という意味であろう。「同ノ」は近村にある戸之内村の小字「殿ノ内」(とのうち)を指すもので「戸之内村殿ノ内の」という意になる。
Fig.2 椎堂村・利倉村・戸之内村周辺図
『日本歴史地名大系』兵庫県より作成
ところで「衛門尉」という官職名を名乗り、またその僭称している名前を検地帳に記載することで、いわば公認してしまっていることになるが、問題ないのだろうか。
これは東百官と呼ばれ、実在しない架空の官職を名前とするという習慣に基づいている。
Fig.3 官位相当
『国史大辞典』より作成
兵衛府や衛門府の三等官である判官(ジョウ)は「大尉・少尉」であるが、「尉」といったよく似た、しかし架空の三等官を名乗っているわけである。
では「衛門」と「衛門尉」はどう書き分けるのか。ハと二の部分を拡大したのが次の図である。
Fig.4
ハの最後の筆がクルッと円を描いているのに対して、二は右上から左下に一気に運んでいる。この違いが「衛門尉」と「衛門」を分けるのである。次の例をご覧いただきたい。
Fig.5 「尉」 東京大学史料編纂所データベースより作成
Fig.6 「尉」 児玉幸多編『くずし字用例辞典』
ちなみに充所の「殿」と「とのへ」も酷似している。
Fig.7 「殿」と「とのへ」 東京大学史料編纂所データベースより作成
イとロ、ハと二の違いはほとんどないように見える。
それはともかく、その後百姓の名前に「尉」は見えなくなり、「右衛門」「左衛門」「兵衛」などに落ち着く。それが何を意味するのかを示す史料はほとんどない。