日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

近世初期検地帳に見る百姓のおなまえっ!

 

天正から文禄年間にかけての近世初期検地帳を眺めていると、ときどき偉そうな名前を名乗っている百姓に出くわすことがある。

 

Fig.1 文禄3年10月摂州[虫損]郡椎堂村御検地帳

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文禄3年「椎堂村検地帳」

 

イには「とくら 惣作」、ロは「同ノ 彦衛門尉」、ハは「二郎衛門尉」、二には「とくら 八郎衛門」とある。

 

「とくら」は隣村の利倉村で、「惣作」は利倉村の全構成員の名請という意味であろう。「同ノ」は近村にある戸之内村の小字「殿ノ内」(とのうち)を指すもので「戸之内村殿ノ内の」という意になる。

 

Fig.2 椎堂村・利倉村・戸之内村周辺図

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                 『日本歴史地名大系』兵庫県より作成

 

ところで「衛門尉」という官職名を名乗り、またその僭称している名前を検地帳に記載することで、いわば公認してしまっていることになるが、問題ないのだろうか。

これは東百官と呼ばれ、実在しない架空の官職を名前とするという習慣に基づいている。

 

東百官 - Wikipedia

百官名 - Wikipedia

 

 Fig.3  官位相当

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                       国史大辞典』より作成

兵衛府衛門府の三等官である判官(ジョウ)は「大尉・少尉」であるが、「尉」といったよく似た、しかし架空の三等官を名乗っているわけである。

 

では「衛門」と「衛門尉」はどう書き分けるのか。ハと二の部分を拡大したのが次の図である。

 

Fig.4

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ハの最後の筆がクルッと円を描いているのに対して、二は右上から左下に一気に運んでいる。この違いが「衛門尉」と「衛門」を分けるのである。次の例をご覧いただきたい。

 

Fig.5 「尉」 東京大学史料編纂所データベースより作成

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Fig.6 「尉」 児玉幸多編『くずし字用例辞典』

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ちなみに充所の「殿」と「とのへ」も酷似している。

 

Fig.7  「殿」と「とのへ」 東京大学史料編纂所データベースより作成

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イとロ、ハと二の違いはほとんどないように見える。

 

それはともかく、その後百姓の名前に「尉」は見えなくなり、「右衛門」「左衛門」「兵衛」などに落ち着く。それが何を意味するのかを示す史料はほとんどない。