日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

文久元年9月16日幕領村々名主中宛皇女和宮下向につき触書写を読む 「写」の構造

 

前々回読んでみた文書は写であるが、二重の写である可能性が高い。写真が「部分」なので断定はできないものの、どの部分が「本体」で、どの部分が書き加えられたものか、少々考えてみたい。

 

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

 

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まず「本体」にあたる原文は青線で囲った部分であろう。その根拠は青線①「御領は」と②「私領は」とあるのに対して、赤線で囲った部分は青線③「御領分」とだけある点だ。緑で囲った部分に「御代官四人様」とあるのと呼応する。

 

つまり、青枠部分が「公儀より仰せ出された」触書で、赤線①の「右の通り」は「以上が触書の趣旨である」という意味で、赤線②「右の通り」は「右の通り公儀よりの触書を写した」という意味になるわけだ。

 

緑枠部分は幕領代官4名の署名捺印があったということで「御印」と略記されている。原本には当然4名の名前も書かれていただろうが、隣村へ触書を回さねばならないので村名ともに省略したのだろう。

 

つまり、公儀より出された触書の原文(本文と日付に限るが)は青枠部分、幕領代官から村々に出されたのが赤枠部分と発給者、受給者、それを書き写して手許に残ったのが本文書全体という構図になる。