前々回読んでみた文書は写であるが、二重の写である可能性が高い。写真が「部分」なので断定はできないものの、どの部分が「本体」で、どの部分が書き加えられたものか、少々考えてみたい。
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まず「本体」にあたる原文は青線で囲った部分であろう。その根拠は青線①「御領は」と②「私領は」とあるのに対して、赤線で囲った部分は青線③「御領分」とだけある点だ。緑で囲った部分に「御代官四人様」とあるのと呼応する。
つまり、青枠部分が「公儀より仰せ出された」触書で、赤線①の「右の通り」は「以上が触書の趣旨である」という意味で、赤線②「右の通り」は「右の通り公儀よりの触書を写した」という意味になるわけだ。
緑枠部分は幕領代官4名の署名捺印があったということで「御印」と略記されている。原本には当然4名の名前も書かれていただろうが、隣村へ触書を回さねばならないので村名ともに省略したのだろう。
つまり、公儀より出された触書の原文(本文と日付に限るが)は青枠部分、幕領代官から村々に出されたのが赤枠部分と発給者、受給者、それを書き写して手許に残ったのが本文書全体という構図になる。