日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

小牧長久手合戦において天正14年織田信雄黒印状が何を説明するのか???

 

過日、某番組が小牧長久手の合戦で、秀吉が織田信雄と戦いたくなかった傍証として天正14年7月23日飯田源一郎宛織田信雄黒印状(安土城考古博物館蔵)をあげていた。

 

内容は知行宛行状で、この時期信雄は大量に発給していた。

 

さて、秀吉の関白宣下はこの前年であり、織田家の正統な継嗣であることを宣言したところで天下人になれるわけでもない。

 

これらの知行宛行状は、そもそも小牧長久手の戦後処理によって生じた信雄の知行替えにともなう検地ののち、発給されたものであって、秀吉と信雄が対立した時期のものではない。

 

番組スタッフの大いなる勘違いか、それとも作為的に話を盛ったのかわからないが、スタジオの3人は納得していたようだ。

 

気をつけたいものである。