日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

永禄9年8月28日田中某宛一色藤長・三淵藤英連署書状を読む 補遺

前回の記事で言及できなかった論点を村井祐樹「幻の信長上洛作戦」(『古文書研究』78号、2014年)からおぎなっておきたい。

 

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

1.ほぼ同文の文書14通が紙背文書として米田家に伝わっている。

 

2.「国中」が指す地域は伊賀と山城(甲賀郡)の両国であろう。

 

3.宛所の人物は両国の国人領主

 

4.本文中の「高新・高勘・富治豊」は未詳。

 

5.これらが反故となったのは、この文書の日付の翌日8月29日に六角氏が義昭から離反したことで、義昭らが矢島を脱したため。

 

谷口克広『信長と将軍義昭』(中公新書、2014年)14~20頁にもこの間の事情が述べられている。