前回の記事で言及できなかった論点を村井祐樹「幻の信長上洛作戦」(『古文書研究』78号、2014年)からおぎなっておきたい。
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1.ほぼ同文の文書14通が紙背文書として米田家に伝わっている。
2.「国中」が指す地域は伊賀と山城(甲賀郡)の両国であろう。
3.宛所の人物は両国の国人領主。
4.本文中の「高新・高勘・富治豊」は未詳。
5.これらが反故となったのは、この文書の日付の翌日8月29日に六角氏が義昭から離反したことで、義昭らが矢島を脱したため。
谷口克広『信長と将軍義昭』(中公新書、2014年)14~20頁にもこの間の事情が述べられている。