日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

永禄9年8月28日田中某宛一色藤長・三淵藤英連署書状を読む

 

2014年「米田家文書」の紙背に、織田信長上洛に言及した一色藤長・三淵藤英連署の文書が見つかった。

綴じ穴が4箇所あることから、反故にしたあと横帳として利用されたことが推測されるが、詳しいことは伝えられていない。

 

www.nikkei.com

 

www.museum.pref.kumamoto.jp

 

 

出品目録の9号文書がその紙背文書である。

http://www.museum.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=10&id=40&sub_id=12&set_doc=2

 

またこの紙背文書ではないが、日付が同じでほぼ同文の、宛所のみ異なる文書が写真の文書である。

 

宛所の「田中殿」「菊山殿」がどういった立場の者かわからないのが痛い。

 

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無別儀候、然者為(闕字)御入洛御供
織田尾張守参陣候、弥被頼
思食候条、此度別被抽忠節様
被相調者、可為御祝著之由候、
仍国中江御樽可被下候、此等之
通被相触、参会之儀可被
相調候、定日次第可被差越御使候、
猶巨細高勘・高新・富治豊可被申候、
恐々謹言、
 (永禄九年)
  八月廿八日    藤英(花押)
           藤長(花押)
  田中殿

 

(書き下し文)

 

別儀なく候、しからば御入洛のため御供に織田尾張守参陣候、いよいよ思し食し頼まれ候条、このたび別して忠節ぬけらるようあいととのえられば、御祝著たるべくのよし候、よって国中へ御樽下さるべく候、これらのとおりあい触れられ、参会の儀あいととのえらるべく候、定日次第お使い差し越さるべく候、なお巨細高勘・高新・富治豊申さるべく候、恐々謹言、

 

*御入洛:闕字があることから足利義昭を指すと思われる。

 

*国中:足利義秋の支配が及ぶ地域、および味方する勢力の支配地域か。

 

*御樽:「樽入」(祝儀として樽酒を贈ること)と同じ意味か。

 

*藤英・藤長:13代将軍義輝殺害後、幽閉されていた足利義秋を救い出した一色藤長・三淵藤英。

 

*高勘・高新・富治豊:未詳、義秋の奉公衆か。

 

*田中:未詳

 

(大意)

ほかでもありません。義秋様の御入洛のためおともに織田信長が加わります。いよいよ頼りにするとお考えになりましたので、特別に忠節を尽くすよう備えれば、ご満足との義秋様の思いです。よって国中へ約束のしるしとして酒を下されることでしょう。以上の趣旨を近所へ知らせ、仲間に加わるようご手配ください。期日が決まり次第使いを派遣します。なお詳しいことは高勘・高新・富治豊が申し上げます。謹んで申し上げました。

 

 

 この時期足利義昭近江国矢島に滞在していたらしい。

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