2014年「米田家文書」の紙背に、織田信長上洛に言及した一色藤長・三淵藤英連署の文書が見つかった。
綴じ穴が4箇所あることから、反故にしたあと横帳として利用されたことが推測されるが、詳しいことは伝えられていない。
出品目録の9号文書がその紙背文書である。
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=10&id=40&sub_id=12&set_doc=2
またこの紙背文書ではないが、日付が同じでほぼ同文の、宛所のみ異なる文書が写真の文書である。
宛所の「田中殿」「菊山殿」がどういった立場の者かわからないのが痛い。
無別儀候、然者為(闕字)御入洛御供
織田尾張守参陣候、弥被頼
思食候条、此度別被抽忠節様
被相調者、可為御祝著之由候、
仍国中江御樽可被下候、此等之
通被相触、参会之儀可被
相調候、定日次第可被差越御使候、
猶巨細高勘・高新・富治豊可被申候、
恐々謹言、
(永禄九年)
八月廿八日 藤英(花押)
藤長(花押)
田中殿
(書き下し文)
別儀なく候、しからば御入洛のため御供に織田尾張守参陣候、いよいよ思し食し頼まれ候条、このたび別して忠節ぬけらるようあいととのえられば、御祝著たるべくのよし候、よって国中へ御樽下さるべく候、これらのとおりあい触れられ、参会の儀あいととのえらるべく候、定日次第お使い差し越さるべく候、なお巨細高勘・高新・富治豊申さるべく候、恐々謹言、
*御入洛:闕字があることから足利義昭を指すと思われる。
*国中:足利義秋の支配が及ぶ地域、および味方する勢力の支配地域か。
*御樽:「樽入」(祝儀として樽酒を贈ること)と同じ意味か。
*藤英・藤長:13代将軍義輝殺害後、幽閉されていた足利義秋を救い出した一色藤長・三淵藤英。
*高勘・高新・富治豊:未詳、義秋の奉公衆か。
*田中:未詳
(大意)
ほかでもありません。義秋様の御入洛のためおともに織田信長が加わります。いよいよ頼りにするとお考えになりましたので、特別に忠節を尽くすよう備えれば、ご満足との義秋様の思いです。よって国中へ約束のしるしとして酒を下されることでしょう。以上の趣旨を近所へ知らせ、仲間に加わるようご手配ください。期日が決まり次第使いを派遣します。なお詳しいことは高勘・高新・富治豊が申し上げます。謹んで申し上げました。