国立公文書館内閣文庫には旧幕府の記録が保管されている。さまざまなうわさも記されていて興味深い。
安政7年水戸家家中の者が「出奔」した。その際の人相書がある。
22、3歳で背は高く中肉で「色白く美男之方」
左側の「丁オモテ」から読む。
○庚申二月十八日水戸表出奔いたし候者人相書
水戸出生侍体之者壱人
一、歳四十一歳 一、中丈 一、顔少々長キ方 一、色白キ方 一、眼するどき方 一、眉毛濃キ方
右同断壱人
一、歳三十五六 一、中丈ゟせ高キ方 一、太リ候方 一、顔丸ク 一、色白く
(後略)
(大意)
かのえさる年二月十八日水戸表から出奔したものの人相書
水戸生まれの侍風の者ひとり
一、歳は四十一歳 一、中背 一、顔は少し長い方 一、色は白い方 一、眼は鋭い方 一、眉毛は濃い方
右と同じく水戸生まれの侍風の者ひとり
一、歳は三十五、六 一、中背よりは高身長の方 一、太っている方 一、顔は丸い 一、色白
まず出生地が水戸で、身なりが侍風であるという「特徴」が書かれている。
次に年齢だが、二人目のように「三十五六」「二十才位」「二十壱二」などはっきりしないケースもある。以下「背丈」「顔の形」「肌の色」などがならぶ。「色白く美男の方」「右の眼平常なみだ出でおる」「色黒く腰かがみ」といったある程度絞り込めそうな記述もある。
安政年間、年齢と、色白・色黒であるとか、顔が長いか丸いか美男か、身長が高いかどうかで人を特定したようだ。ずいぶん頼りない。しかしお尋ね者を「美男」と呼ぶからには相当の美男だった可能性がある。女性からの視点でなく、男性が「美男」と認識しておりさまざまな妄想が膨らむ。
ところで名前が見られないのが気になる。偽名を使うことが予想されるとはいえ、手がかりとして重要であることには変わりない。