日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

文書(もんじょ)、記録、編纂物の概念図

文書(もんじょ)は(1)発給人(2)受給人(明示されていない場合も多い)(3)文書の内容(4)日付の四要素を要件とする。また、文書は、文書の内容を発給人から受給人に単に伝えるのみならず、なんらかの行為をともなっている。命令からお礼、時候のあいさつまで、発給人が受給人にたいし働きかけを行うために作成されたもので、花押や朱印を据えることで「効力」が発生するものも多い。

 

この効力をもつ、という点で、単なる文字記録以上の意味を持つ。

 

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商家や地主の家に伝わる「大福帳」や「金銀出入帳」「万覚帳」などの経営帳簿も文書に入る。

 

ちなみにこれらはコスパが最悪だ。自分や家族、奉公人が読めればよいというわけで文字はくずしまくるし、意味不明な符丁のような記号も頻出する。そして何十冊も読んで表ひとつができあがるという、苦労した割に報われないことが多い。ブログ主も挫折して、すぐに方向転換した苦い経験を持つ。

 

 

日記などの記録類は、有職故実を伝える目的を持った公的側面が強く、個人の覚書ではない。

 

「~~と日記には書いておこう」という発想はすぐれて現代的なもので、貴族や僧が同様に書いていたわけではない。伝聞情報ものちに根拠のない「でまかせ」であるとわかれば、その旨を記すなど正確性につとめている。もちろん、それは十全なものではない。したがってさまざまな史料をつきあわせる「史料批判」という作業が不可欠になる。

 

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「歴史は勝者の歴史である」とよくいわれる。この場合の「歴史」が指すものの多くが編纂物である。編纂物は下記のようなプロセスを経て編まれる。

 

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