日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

府県別諸侯分布

前回明治9年現在の府県別諸侯一覧を掲載した。ただ、小大名は紙幅の都合から割愛したため大まかな傾向を示すにとどまらざるを得なかった。今回はこれをすべて府県別に分類し、さらには大名数の多い順に府県をソーティングしてみた。 docs.google.com すると…

明治9年9月3府35県(ほかに開拓使と琉球藩)と慶応4年2月11日300諸侯の対照表

明治以降の府県制はよくいえば試行錯誤の連続、有り体にいえばその場しのぎで(姑息で)弥縫的な側面が強く、また戸口や石高も旧大名による申告が多かったようだ。データベースに入力していると弥縫的と強く感じる。とりわけ入力する際には何を選び取り、何…

慶応4年2月11日明治新政府による300諸侯一覧

慶応4年2月11日(太陰太陽暦)明治新政府は約300名を「諸侯」に任じた。このうち40万石以上の者を「大藩」*1としたが、徳川宗家16代徳川家達も駿河静岡藩主としてその一角を占める。こうした少数の者による支配体制をオリガーキー(oligarchy)、それら少数…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉領地充行状

於肥後国領知方、都合拾九万四千九百拾六石、目録<別紙在之>事、被宛行之訖、但此内弐万石国侍*1ニ可被下之条、御朱印次第*2相渡、則其方可致合宿*3、其外見宛*4全可令領知候也、 天正十六 後五月十五日*5(朱印) 加藤主計頭とのへ*6 (三、2514号。<>…

天正16年閏5月15日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

(包紙ウハ書) 「 加藤主計頭とのへ*1 」 其方事、万精を入、御用*2ニも可罷立与被(闕字)思食付而、於肥後国領知方一廉*3被作拝領*4、隈本*5在城儀被(闕字)仰付候条、相守御法度*6旨、諸事可申付*7候、於令油断者可為曲事候、就其陸奥守*8事、以一書*9…

天正16年閏5月15日大矢野種基宛豊臣秀吉朱印状写

肥後国天草郡内千七百五十*1之事、此度以御恩*2地之上、為被宛行之訖、全令領知、小西摂津守*3于致合宿*4、可抽忠節候也、 天正十六 後五月十五日 御朱印 大矢野民部大輔とのへ*5 (三、2512号) (書き下し文) 肥後国天草郡のうち千七百五十石のこと、この…