日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(2)

一、天正十三*1年に信雄*2尾張国ニ有之、不相届刻、彼むつのかみ又候哉*3、人質を相捨、別儀をいたし、加賀国はしへ令乱入、城〻をこしらへ候間、則被出御馬、は城*4うちはたさせられ、越中陸奥守居城と山の城とりまかさせられ候之処、又候哉むつのかみあた…

天正16年閏5月14日小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状(1)

秀吉は、信長横死のさい多数派工作のため、天正10年6月5日づけで「京より罷り下り候者たしかに申し候、(闕字)上様*1ならび殿様*2いずれも御別儀なく、御切り抜けなされ候、膳所が崎*3へ御退きなされ候」*4と中川清秀にあてて虚偽の情報を意図的に流した*5…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(4/止)

⑦一、在〻質人*1出置替之時*2礼儀に立寄候者*3、上使ハ不及申ニ百性まて為可曲事、付りふしん*4道具・薪等申付之時ハ、人夫数ハ百石二付而二人ツヽ隈本へ持せ可越候、右条〻相背者候者可令成敗者也、仍下知如件*5、 天正拾六年後*6五月六日 加藤主計頭(花押…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(3)

⑤一、従此方*1仰之儀*2に申付候上使にて候共、非分之儀申懸候ハヽ、其上使と*3申事すへからす候、外之儀*4ニ而候共以目安可直訴候、遂糺明を堅可申付事、 ⑥一、麦年貢定物成*5之義、我〻直ニ*6相定書付を在〻肝煎に相渡候外ハ、少も不可有別儀候、付り隈本へ…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(2)

③一、国中麦年貢*1之儀、御検地*2之上を以三分二召置*3、三分一ハ百姓ニ可遣之旨被仰出候*4、雖然諸百性迷惑*5之躰見及候条在之、其立毛*6之上ニて百性共堪忍続候様*7可申付事、 ④一、在〻出置候上使*8之者、対百性ニ非分之儀於申懸者、以目安可直訴事、付り…

天正16年閏5月6日北里政義ほか1名宛加藤清正下知状(1)

清正は、5月25日付の朱印状の11日後、つまり当時の交通・通信事情からいえば「ただちに」本文書を発給している。しかも朱印状をそのままなぞっているのではなく、現地の状況に即し清正なりに咀嚼している点でも興味深い。なお本文書名を「下知状」と呼ぶのは…

天正16年5月25日加藤清正宛豊臣秀吉朱印状

書状披見候、妻子召連早〻令下着*1旨、尤被思食候*2、依之家来*3之者・百姓以下迄致安堵、荒地*4相返*5致開作*6由可然候、猶以守御法度*7旨、諸事可申付候、委細長束*8可申候也、 五月廿五日*9 (朱印)* 加藤主計頭とのへ (三、2497号) (書き下し文) 書…