日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

天正14年4月10日毛利輝元宛豊臣秀吉朱印状(分国置目覚)

覚 一、分国置目、此節可申付事、 一、簡要城堅固申付、其外下城事、 一、海陸役所*1停止事、 一、人数揃事、 一、蔵納申付、九州弓箭覚悟事、 一、豊前*2・肥前*3人質可取堅事、 一、門司*4・麻生*5・宗像*6・山鹿*7城々へ人数・兵粮可差籠事、 一、至九州…

天正14年4月10日小早川隆景・吉川元春・吉川元長宛豊臣秀吉朱印状

就大友入道*1上洛*2、九州分目*3相定候*4、遠境候条、彼国者共*5若令難渋者、可差下人数*6候間、右馬頭*7相談、此方城々丈夫*8可申付候、次人質*9事、入念可相渡黒田官兵衛尉*10候、猶具*11安国寺*12可被申候也、 四月十日*13(朱印) 小早川左衛門佐とのへ*…

天正14年3月21日豊臣秀吉知行方法度につき条〻写

本文書も写が2点伝わっているのみで原本の存在は今のところ確認されていない。しかしほぼ同文なので実際に発給されたと見てよいだろう。形式的には充所に受給人が記載されていない朱印状で、秀吉の家臣=「給人」に対して一斉発給したと考えられ、内容は1月1…

天正14年2月29日前田玄以宛豊臣秀吉朱印状写

①去年検地之在〻所〻山林炭竈*1等之事、不相残遂糺明、年貢以下相改*2可申付*3候、②知行之外たる上者、誰〻*4ニ扶持*5候雖為在所内、其領主*6聊不可違乱*7*8也、 天正十四 二月廿九日 御朱印 民部卿法印*9 (三、1858号) (書き下し文) 去る年検地の在々所…

天正14年2月15日一柳直末宛豊臣秀吉朱印状(後)

(承前) ①一、普請衆数千人の内に馬十疋をき*1候て、使あるき*2につかふへし、其外の馬は在所*3へ可返事、 ②一、ろし*4とをり候とて、大石もちにハ何たるものもかたよる*5へき事、 ③一、下〻酒にゑい*6、くちからかひ*7有之といふともとらへ*8可出之*9、若…

天正14年2月15日一柳直末宛豊臣秀吉朱印状(前)

今回も長いが、大坂城普請に駆り出された者たちの実態をうかがえるので2回に分けて読んでみたい。ほぼ同文のものが23日加藤嘉明*1、蜂須賀家政*2宛に発給されている。 定 ①一、石場*3をせんさき*4にとり、石にかきつけ*5有之といふとも不可用*6、持次第*7た…

天正14年1月19日加藤嘉明宛(カ)豊臣秀吉定写(4/止)  

①一、其国〻其在所堤以下あらは、正月中農作に手間不入折から可加修理、但其堤大破之時、給人百姓不及了簡*1者、達(闕字)上聞為(闕字)上可被仰付事*2、 ②一、小袖御服*3之外ハ絹うら*4たるへし、但俄には不可成之条、ともうら*5の事、四月一日わたぬき*6…