日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

天正11年7月29日多賀谷重経宛羽柴秀吉書状写(抄出)

天正11年7月29日秀吉は武蔵岩付城主太田資正、常陸下妻城主多賀谷重経に長大な返書を書き送っている。二通とも写しか伝わっていないが、ほぼ同文である。ここでは重経宛の最後の一つ書きと文末を読んでみたい。 (前略) 一、廿五日*1、加州*2江出馬候之処、…

天正11年7月10日平野惣中宛羽柴秀吉判物

尚以一柳市介*1を代官ニ申付候、可成其意候、 当所之儀、此方台所入*2ニ申付候間、諸事*3如先々*4不可有相違候、各心得可存者也、 筑前守 七月十日*5 秀吉(花押) 平野*6 惣中*7 「秀吉一、736号、234頁」 (書き下し文) 当所の儀、この方台所入に申し付け…

天正11年5月15日小早川隆景宛羽柴秀吉書状(抄出)

今回は小早川隆景宛の書状を読んでみたい。ただし長文なので抄出とした。本文書は黒嶋敏氏が、その著書『秀吉の「武威」、信長の「武威」』 *1の冒頭で、口語訳を引用されている*2のでご記憶の方も多いと思う。黒嶋氏の指摘を紹介しておこう。 彼ら*3はそこ…

天正11年4月の越前・加賀仕置

前回の記事で以下のように述べた。 ただし翌日秀吉は、上杉景勝重臣の直江兼続・狩野秀治に充てて、加賀・能登・越中を平らげたと述べたうえで、柴田勝家攻略時にこちらに味方するとの誓紙を交わしているがそれを反故にしたと詰め寄ってもいる japanesehisto…

天正11年4月28日佐々成政宛羽柴秀吉書状

越後儀*1弥遂相談、①国切*2ニ於相澄者、執次*3之儀貴所へ可相定候、②越後存分*4相滞儀も在之者、秀吉出人数*5、急度申付*6、彼国之事者*7其方可被任覚悟*8候、為其如此候、恐〻謹言、 羽柴筑前守 卯月廿八日*9 秀吉(花押) 佐々内蔵助殿*10 「秀吉一、660号…

天正11年4月27日溝口秀勝宛羽柴秀吉判物

越前国并賀州内余禰郡*1・能美郡両郡*2、惟五郎左*3へ一職*4申談候之処、余禰郡之儀、其方へ惟五被進之候、於秀吉尤候条、彼郡一職召置、①百姓等召返、政道*5以下専要候、②在々江雖可申触候、其方堅可被申付候、為其如此候、仍如件、 天正十一 四月廿七日 筑…