日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1904年震災予防調査会による『大日本地震史料』全22巻と『附録 大日本地震史料地震目録』の紹介とダウンロード先

今から100年以上も前の1904年、全22巻および付録からなる一大史料集が刊行された。『大日本地震史料』である。本来古書店でたいそうな値段がつけられたであろうこの史料集がダウンロードできると知り、ここにそのURLを貼ることにした。 付録の地震目録は年表…

明智光秀の最期を伝える史料

明智光秀の最期を伝える史料を今日は紹介したい。引用は三鬼清一郎編『稿本豊臣秀吉文書(1)』(2005年、私家版)92~93頁「325高木文書」による。 325(高木文書) 東京大学史料編纂所架蔵影写本 御状拝見申候、如仰、今度京都不慮之仕合、無是非儀ニ候、 …

古文書を見ることができる神サイトの紹介

こういうサイトがありますのでぜひご活用下さい。 ただ著作権の問題がありますので、引用にはくれぐれもご注意を! atogaki.hatenablog.com

埋め草 古文書を学べる学部学科

文学部史学科以外で古文書を学べる学部や学科を紹介する。 工学部建築学科建築史研究室 城郭研究などはこちらの方が詳細に学べるかも知れない 理学部古気象学、古天文学、古地質学関係研究室 当時の人々の記録を読む必要があるので 理学部地理学科歴史地理学…

本能寺の変の第一報

本能寺の変直後、この事件を史料でどのように表現していたかを今回考えてみたい。史料は以前と同じ『愛知県史資料編11織豊1』から引用し、同書による史料番号と頁数を明記する。 史料1 1513.家忠日記(788頁) (六月) 三日己丑 (中略)酉刻ニ京都にて上様…

吉報! 信長と光秀関係の史料集がGoogle Appsにアップされました

これは労作かつ朗報!! @buqimingriその他 @buqimingri 信長と光秀の文書を追加した暫定版データ集をGoogleAppsに上げてみた。多分閲覧可能なはず。 docs.google.com

「新発見」光秀書状をめぐる2つの議論の温度差と各メディアの大きな勘違い 「写」と影写本は異なる!

ツイッターで「光秀書状」を眺めていると、議論は大きく2つに、しかもおそろしいほど隔たっていることに気付く。 ひとつは、すでに十分知られた文書であり、原本そのものが見つかったことは大発見だが、それ以外格別の新発見があったわけではないという流れ…

本能寺の変後の信長を「上様」「右大将家」と呼ぶ事例

『岐阜市史史料編近世一』から本能寺の変後、信長がどう呼ばれていたかを知る手がかりとして、次の2点の史料を紹介したい(いずれも877頁)。なお文書の名称は同書にしたがった。 史料1 神戸(織田)信孝禁制判物(折紙) 当寺之事、付門前、上様(織田信長…

本能寺の変直後 社会は無政府状態に陥った

『愛知県史資料編11 織豊1』史料番号1516、789頁によれば次のような混乱状態に陥ったという。 1516 十六・七世紀イエズス会日本報告集 彼は(=明智光秀)(市の)いずこにも火を放たなかったが、重臣を一人、幾らかの兵と共に同所に残して彼は予期していた…

「新発見」光秀書状の原本写真と釈文が公開されました 

「土橋重治宛 明智光秀書状」特別公開展示について こちらで光秀書状の原本写真と釈文がPDFファイルで公開されています。 またこちらもご参照ください。 藤田達生『証言本能寺の変 ー 史料で読む戦国史』(2010年、八木書店)

彙報 三重大学国際忍者研究センター 伊賀連携フィールド古文書講座受講生募集のお知らせ

www.human.mie-u.ac.jp 「国際忍者研究センター」とはこれまたなんとも…

三行半(みくだりはん)を読む

6月に以下の記事が掲載された。 digital.asahi.com これを全文翻刻してみよう。三行半はその名の通り、三行と半分で書かれるので、それも忠実に再現する。ただし変体仮名については、気分次第で通常の仮名に直したり、もとの漢字のままとした。 離縁状之事 …

石田三成ら豊臣氏四奉行による村落支配に関する指示

「関ヶ原」という映画が好評で盛り上がっているようだ。そこでスケベ心から(新規参入のブログを目立たせるにはミーハーであることが第一)しばらく石田三成関連の史料を読んでいくことにする。若い女性に人気があると仄聞するが、それらのご期待に添えるも…

関ヶ原の戦後処理 慶長5年(1600)9月21日の「禁制」(岐阜県養老町指定文化財)

本日は、映画公開が近いといわれる公開されている関ヶ原の戦後処理に関する史料を読みたい。合戦が9月15日だから6日後に村々に宛てて出された触である。 www.tagizou.com 禁制 哥村 金谷村 嶋田村 直井村 大塚村 一、軍勢甲乙人等濫妨狼藉之事、 一、放火之…

自然災害と歴史学 日本のポンペイ 生死を分けた十五段 天明3年浅間山噴火

2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震、それによって引き起こされた東日本大震災以降、にわかに災害史が注目されるようになった、と世間では思われている。1995年の兵庫県南部地震とそれによる阪神淡路大震災のころについての記憶は定かでないのだが、…

大発見? 漢数字の四・肆を「亖」と書いた実例

先日、漢数字の四・肆について触れたが、その後「大発見?」があったので報告する。 まず以下の記事をご覧いただきたい。 nlab.itmedia.co.jp それに対し拙ブログにて、こういう事例があることを紹介した。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com …

徳川期における不義密通、近親相姦(三親等内で関係をもった場合)の罪科と赦免について

徳川幕府は密通について、人妻と知っていた場合、知らずに通じていた場合、姉妹伯母姪との姦淫について次のように取り扱っていたようだ。 赦律(『徳川禁令考 別巻』295頁、創文社、1961年)によれば 拾五 密通又ハ強婬いたし候もの之事 一、人之女房と乍弁…

「新発見」光秀書状の問題点 これだけは押さえておきたい

今一度、この書状の論点をおさらいしておきたい。問題は以下の部分の解釈である。 尚以、急度御入洛義御馳走肝要候、委細為*上意、 可被仰出候条、不能巨細候、 如仰未申通候処ニ、*上意馳走被申付而、示給快然候、然而** 御入洛事、即御請申上候、被得…

村上水軍の新史料

毎日新聞2017年9月13日地方版に以下の記事が掲載された。例によって、写真の部分を翻刻してみる。 「来嶋落城」記す史料は初 「本能寺」後の情勢、注目の展示 今治・村上水軍博物館、来月10日まで /愛媛 「猶条々申合口上候、次来嶋落城之段定而不可有其…

蛤御門の変と新撰組に関する新史料

先々月、次のような報道がされた。 digital.asahi.com mainichi.jp www.sankei.com www.nikkei.com そこで、この写真の部分だけ読んでみることにした。 今暁丑刻比ゟ当村下宿々ゟ会津様非番之諸隊縁ニ螺貝吹立、甲冑著シ出陣、其騒動去月廿七日之如シ 昨十八…

続々「新発見」の光秀書状の原文と書き下し文を載せてみた

書状の宛所(宛先)の土橋重治について高木昭作監修、谷口克広著『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館、1995年初版)255頁によると 生没年不詳。平之丞、平尉。紀伊名草郡の土豪で雑賀衆の一人。兵次守重の弟という。本願寺に与し、播磨三木城の別所長治に…

続「新発見」の光秀書状の原文と書き下し文を載せてみた

ニュース上ではやたら「新発見」と騒いでいるが、正確には原本の発見と言うべきところだ。実際知られた史料であり、奥野高廣『織田信長文書の研究』に収載されている。藤田達生氏は、足利義昭による「半済」「鞆夫」などの諸役を徴収していたことから「鞆幕…

「新発見」の光秀書状の原文と書き下し文を載せてみた

引用は奥野高廣『増訂織田信長文書の研究(下)』(吉川弘文館、1970年初版、1988年増訂)pp.298~299 ただし、闕字、平出は無視する (包紙) 「 雑賀五郷 惟任日向守 土橋平尉殿 光秀 御返報 」 尚以、急度御入洛義御馳走肝要候、委細為上意、可被仰出候条…

もし六角氏領内で不作になったら、農民はどうすればよいのか?

一、損免の事、庄例・郷例ありといへども、先々の次第棄破せられおわんぬ。自今以後においては、所務人・地主・名主(ミョウシュ)・作人等立相ひ内検せしめ、立毛に応じこれを乞ひ、下行あるべし。もし立毛これを見せず刈り執り、損免申す族これありといへ…

漢数字の四・肆を「二二」と書いた事例を挙げてみる

こういう記事が人気のようだ nlab.itmedia.co.jp 小ブログでは実際に「亖」ではなく「二二」と書かれた事例を紹介しよう。 引用は『 題目板碑の世界 (PDFファイル) - 立正大学』による。 「暦応二二年」9頁 「文亀二二年」10頁 該当ページの翻刻と写真をご覧…

古本の書き込みに見る学生生活

古書というのは、持ち主の履歴の断面を伝える役割もある。 今日こんな書き込みを見た(鉛筆書き) アルコールを入れたいのでしょう? うそ!ギゼン者! (ここから筆跡が変わる) 31日はどこでしゃべろうか、きっさ店? (どちらが先に書かれたかは不詳) 「…

もし伊達家領内で落とし物を拾ったら

本日より、史料を一点取り上げ、小さな話題から日本史をのぞき見るブログを始めて見た。 今日は「もし伊達家領内で落とし物を拾ったら、どうすべきか」という問題を史料に即して、できるだけなるべく可能な限り禁欲的に(できるだけ!!)考えてみよう。 伊…