(承前)
4.問いの立て方、議論の進め方
日本語圏では「なぜ~は素晴らしいのか」という問いを立てることがよく行われるが、この言明は二つの問題を孕んでいる。ひとつは「なぜか」という問いは因果関係を明らかにすることを暗黙の裡に想定しており、相関関係などを持ち出して「事足れり」とするわけにはいかないからである。時間的な前後関係だけで因果関係にあると判断するのは論外だが、社会現象の因果関係を誰の目にも明らかにすることは至難の業である。そうした弱点を念頭に置きつつ微に入り細を穿って漸進的に何かを掘り当てる、そうした作業の積み重ねの上に歴史学は成り立っている、それを忘れてはならない。
最近では相関関係にないことすらあたかもそういった関係にあると錯覚させる(錯覚している?)悪質な事例も見かける。いかにも近しい関係にあるかのように装うそれは相姦関係とでも呼ぶに相応しい。
二つ目は「素晴らしい」というのは価値判断であって、ひとそれぞれ判断基準が異なるので説得力に欠ける点である。「なぜイギリス料理は不味いのか」という問いは愚問中の愚問で「旨い/不味い」など文字通り「好み/嗜好」の問題に過ぎず、それに対する説得力のある答は見つかるまい。またきわめて失礼でそういったネタは「ポーランドボール」の範囲内に留めたい。
また議論において規範的な「~すべし」といった結論に辿り着くこともできない。事実命題(sein)から規範命題(sollen)を導き出せないからである。そこから教訓を得ようとすること自体を否定しないが、歴史学の守備範囲を大きく超える話で、市民一人ひとりが向き合うべき問題である。
行論中後世の語彙をあてて説明することも非歴史的である。たとえば「インセンティヴ」とやらを唐突に持ち出しても、それらを意味する概念が当時存在したのか否かを明らかにしなければならず、それらを示す言葉や行動原理などを示す同時代史料を引用する必要もある。さらにその「インセンティヴ」がいかなる過程でいかなる結果をもたらしたのかを説得力あるかたちで説明せねばならない。マックス・ウェーバーは『プロテスタントティズムの倫理と資本主義の精神』においていみじくも述べている。
報酬の多いことよりも、労働の少ないことの方が彼*1を動かす刺激だった(中略)まさしくこれは「伝統主義」と呼ばれるべき生活態度の一例だ。人は「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、つまり、習慣としてきた生活を続け、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎない。近代資本主義が、人間労働の集約度を高めることによってその「生産性」を引き上げるという仕事を始めたとき、至る所でこのうえもなく頑強に妨害しつづけたのは、資本主義以前の経済労働のこうした基調(ライトモチーフ)だった。
岩波文庫版64~65頁、下線・強調などは引用者
この「彼を動かす刺激」が今日の「インセンティヴ」であることは明白だが、意味するところは180度異なる。近現代的な概念を安易に歴史に持ち込むと足をすくわれる結果となる。意味不明なカタカナ語を魔法の杖のごとく振り回すことは厳に慎みたい。
5.前回の補足
下村文書には件の文書のほかに興味深いものが残されている。そのうちのひとつを引用する。
兵粮米二百石、うち百四十石長浜町中、六十石は八幡庄内中より関ヶ原*2まで相届く*3べく候、一石について駄賃として四升五合ずつ遣わすものなり、
五月十五日*4 秀吉(朱印)
長浜町中
八幡庄中
『大日本史料』11編7巻308頁、書き下し文・下線は引用者
長浜町や八幡庄宛に兵粮米を輸送せよとの文書が発せられており、それが「下村文書」として伝わっていたことは前回述べた下村玄蕃助が兵粮米の調達に関わっていた武器商人、死の商人だったことを明確に示している。
以下は「秀吉 長浜町」を「大日本史料総合セータベース」で検索した結果である。下村文書と下郷共済会文書が混在しているが、前者が後者の文書群として吸収される前の姿を留めていたのだろう。

(次回へ続く)












