日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正9年9月前野将右衛門外宛羽柴秀吉書状

     尚以*1さしあたる*2用無*3候、毎日其方之儀、可被申越候、自此方も可申

  遣候、昨日従此方飛札遣候つるかり田、一ヶツヽニねんを入、新十郎*4請取*5

  られもちて可被帰候、

御状令披見候、誠長々普請*6くたひれたるへく候条、其元へ差遣事、一入*7笑止*8ニ候つれ共、既其方手前*9儀候条遣候也、打続辛労無是非候、然ニ苅田*10并普請被申付候由尤候、最前ハ中二日□□(逗留)候て、両条*11堅申付被帰候へと申候へ共、苅田も取逃*12[   ]、又普請なとも不出来*13候者、中三日程も逗留候て、近辺苅田不残申付、普請等儀、丈夫*14ニ念を入被申付、可被帰候、次被帰候刻、さして用心*15も入間敷候条、自身馬之上ニ道具*16を□□、中間小者*17ニハ、苅田をさせ候てもたせ*18、面々こし*19兵粮*20ニもさせらるへく候、又其元近辺、敵陣取候ハんとする山々在所并従此方人数いたし候はん所之道すからとも[        ]可被帰候、恐々謹言、

                筑前

    九月□日           秀吉(花押)

    前 将右*21

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                          「一、346号、108~109頁」

(書き下し文)

御状披見せしめ候、誠に長々普請くたびれたるべく候条、其元へ差し遣わすこと、一入笑止にそうらいつれども、すでに其方手前儀に候条遣し候なり、打ち続く辛労是非なく候、しかるに苅田ならびに普請申し付けられ候由もっともに候、最前は中二日逗留候て、両条堅く申し付け帰られ候へと申しそうらえども、苅田も取り逃し[   ]、また普請なども出来せずそうらわば、中三日ほども逗留候て、近辺苅田残らず申し付け、普請などの儀、丈夫に念を入れ申し付けられ、帰らるべく候、次に帰られ候きざみ、さして用心も入るまじく候条、自身馬の上に道具を…、中間・小者には、苅田をさせ候て持たせ、面々*22腰兵粮にもさせらるべく候、また其元近辺、敵陣取りそうらわんとする山々在所ならびに此方より人数いたしそうらわんところの道すからとも[        ]帰らるべく候、恐々謹言、

 

なおもってさしあたる用無しに候、毎日其方の儀、申し越さるべく候、此方よりも申し遣わすべく候、昨日此方より飛札遣わし候つる苅田、一ヶずつに念を入れ、新十郎請取取られ持て帰らるべく候、

(大意)

 お手紙拝見しました。実に長期にわたっての普請、さぞお疲れのことでしょう。さて苅田および普請を命じられたとのこと、もっともなことです。当初は中二日逗留し、この二点を厳命し、お帰り下さいと申しましたが、苅田もできず…また普請なども完成しなければ、中三日とどまり、近所の苅田を残らず命じ、確実に普請を終えるよう命じて、お帰り下さい。二点目。お帰りのときは、たいした用心も必要ではありませんので、馬上に鎗を…(「鎗をみずから持たず、馬にでも乗せて」の意か)。中間・小者に刈り取った稲穂を持たせ、おのおのの腰兵粮にあてて下さい。三点目。貴殿の近辺で敵が陣取ろうとする山々や郷村、さらにはこちらより派兵しようとする途上にて…お帰り下さい。謹んで申し上げました。

 

当面こちらは手隙ですので、貴殿らの報告は毎日して下さい。こちらからも連絡します(密に取ります)。昨日こちらより書状をお送りした苅田のことですが、一ヶ所ずつ入念に行い、新十郎に刈り取った稲穂を渡したならば請取状をお取りになり、大切に持ってお帰り下さい。

 

 本文書では城攻めのための普請と兵粮確保のための苅田の二点について、最前線にいると思われる前野長康らに送った書状とみられる。前野以外に数名の名前が記されていたが破損が著しいのが悔やまれる。中近世移行期の苅田についてパターン別に見ておきたい。

1.敵の兵粮を断つ目的で行われる「稲薙」(青田のうちに苅ってしまう)


永禄13年7月吉川元春小早川隆景、出雲高瀬城周辺の稲を刈る 「大日本史料」元亀1年7月27日条
「雲州表の儀、来たる十六日稲薙申し付け候」
「爰元のこと、高瀬山下稲薙申し付け候」
「爰元*23稲薙残るところなく申し付け候」
「雲州動きの儀、高瀬表は稲大概薙ぎ捨つるのよしに候」

 

2.自陣の食糧を確保するために行う「苅田


天正12年9月1日、5日 「大日本史料」同年9月1日条
徳川家康家臣松平家忠尾張国丹羽郡楽田にて苅田を行う

  

3.飢えに耐えきれず他国で苅田を行う百姓


寛永13年8月22日有馬直純宛細川忠興書状「細川家史料」3179号
飢饉につき日向・薩摩・肥後国境にて百姓が苅田を行う
貴様*24御国境*25肥後の者*26多分*27盗み仕るべく候、かようの刻みは如何様に法度申し付け候とても、餲え*28候ものには法度は立てざるものにて候*29、見ながら是非なきことどもにて候こと*30

 

 

苅田および苅田狼藉については以下を参照されたい。

www.jstage.jst.go.jp

 

 

秀吉の兵粮確保について言及した文献は以下の通りである。(順不同)

hdl.handle.net

盛本昌広『増補新版 戦国合戦の舞台裏』(洋泉社、2016年)

小林一岳・則竹雄一編『戦争Ⅰ 中世戦争論の現在』(青木書店、2004年)

 

 

*1:いっそう

*2:今のところ、当面

*3:ヨウナシ、暇なこと

*4:亀井茲矩

*5:請取状、領収書・レシート

*6:城攻めのための普請

*7:ヒトシオ、いっそう

*8:苦労

*9:落手した、すでに秀吉よりの見舞いの書状を受け取っていること

*10:稲穂を刈り取ること、兵粮の現地調達

*11:普請と苅田のこと

*12:「他人のものを奪って逃げる」という意味もあるが、ここでは単に「取りうるものをみすみす他に取られる」、「取り損なう」の意

*13:シュッタイ、できあがる・完成する

*14:確実に

*15:前野らが苅田・普請に出ている最前線と秀吉の本陣の道中に敵兵、伏兵などに備えることか

*16:武具、とくに鎗

*17:武家奉公人のうち非戦闘員として戦場へ徴発された者

*18:持たせ

*19:

*20:「腰兵粮」は当座のために携行する兵粮

*21:前野将右衛門長康、織田信長のち秀吉家臣

*22:対等または目下の者に対する二人称、「みんな」

*23:高瀬

*24:有馬直純

*25:有馬領日向国諸県郡

*26:細川領肥後国の百姓

*27:大勢

*28:カツエ

*29:飢えている者に法は無意味です

*30:見ていながらも手出しできないことでしょう