日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

続 天正8年4月26日網干惣中宛羽柴秀吉判物

前回読んだ判物について、曖昧に誤魔化した「上使銭」について調べてみた。

  猶々急度可遣上使*1候へ共、上使銭以下造作*2之条、立佐*3差遣候、若於由

  断者、自是*4可申付候、以上、

英賀*5にけのき*6候もの共、預ヶ物*7可在之条、悉以可運上*8候、自然於相隠置者、後々聞付次第可成敗者也、

                     藤吉郎

  卯月廿六日*9                 秀吉(花押)

      網干*10

       惣中

「一、234号、77頁」

 (書き下し文)

英賀逃げ退き候者ども、預ヶ物これあるべくの条、ことごとくもって運上すべく候、自然相隠し置くにおいては、後々聞き付け次第成敗すべきものなり、

なおなお急度上使遣わすべく候え共、上使銭以下造作の条、立佐差し遣し候、もし由断においては、これより申し付くべく候、以上、

(大意)

 英賀城から逃げ出した者の預け物があるとのこと、すべて差し出しなさい。万一隠し持っている者がいた場合、後日露見した際はその場で成敗します。

なお、必ず上使を差し遣わしますが、上使銭以下の諸費用、手間については小西隆佐を派遣するのでよくよく相談して不調法のないようにしてください。万一まとまらないときはこちらから直接命じます。

 

 

尚〻書きの部分では、使者を迎える準備を網干惣中と小西隆佐が相談の上、準備怠りないようにと指示している。小西隆佐が秀吉と網干惣中を仲介する立場にあったのだろうか。


大徳寺御納所宛蜂須賀正勝連署奉書*11「賀茂領御指出之分上使銭被相済候」とあり、3328~3330号にも同様の文言が見えることから「上使銭」は「指出」に関する使者にかかる費用で、小西隆佐を派遣するのでよく相談の上取り計らうよう促した文書とみる方がよいのかもしれない。そう読むと最後の「もし油断においては、これより申し付くべく候」は秀吉が直接現地に出向いて丈量するという意味と解釈できる。

*1:上級権力者の意思を伝えるための使者、元亀3年6月23日付大徳寺御役者中宛、また大徳寺賀茂領・紫野指出を担っていると思われる木下祐久宛書状の発給人は「上使中」とあり、織田政権の常駐の役職だったらしいことがうかがえるが、他には見えない。奥野高廣『織田信長文書の研究』補遺250~251号

*2:費用のかかること、厄介事、またそのためにかかる費用、手間。ここでは「上使銭」とあるので上使を派遣する際に発生する費用、指出にかかる費用か。元亀3年大徳寺から「指出銭」「上使銭」などを徴収しているが未詳

*3:小西隆佐

*4:秀吉よりが直接出向いて直接命ずる

*5:英賀の寺内町で秀吉軍と戦った一向一揆、図参照

*6:逃げ退き

*7:問屋、土倉などに金品を預けること、またはその金品

*8:ここでは没収するの意

*9:天正8年

*10:播磨国飾東郡、図参照

*11:元亀3年6月20日大徳寺文書之十三」 3327号、166~168頁