日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

明暦2年12月晦日粟生村百姓連判年貢・諸役算用に付一札

播磨国加東郡粟生村で17世紀に起こった村方騒動。最近の話と好対照をなす文言が見られるので、17世紀の百姓の意識を見てみたい。

 

    上ル一札之事

一、雖毎年如此被仰付候と、弥被入御念候、御公儀様御割符*1方之御年貢帳*2、藁銀・小物成銀*3、其外有之候割符并与中万事支配銀*4割符等二至まて、其年切二*5、庄や・与頭立合万事小日記*6相改、吟味之上二て諸事名細*7に算用指引相渡し申し候ニ付、毛頭非道成儀無之少も申分無御座候、若後日何角と申者候ハヽ此判形*8之一札を以(闕字)御公儀様へ御指上ヶ可被成候、其時一言之子細*9申上間敷候、為後日如件、

                     粟生村*10与頭*11

                         平右衛門(印)

                    (その他約70~80名連署略)

      八郎大夫殿

                  『小野市史』第5巻、90号文書

 

(書き下し文)

 

    上る一札のこと

一、毎年かくのごとく仰せ付けられ候といえども、いよいよ御念を入れられ候、御公儀様御割符かたの御年貢帳、藁銀・小物成銀、そのほかこれあり候割符ならびに与(くみ)中万事支配銀割符などにいたるまで、その年きりに、庄屋・与(くみ)頭立ち合い万事小日記相改め、吟味のうえにて諸事明細に算用指し引き相渡し申し候につき、もうとう非道なる儀これなく少しも申し分ござなく候、もし後日なにかと申す者そうらわばこの判形の一札をもって御公儀様へ御指し上げなさるべく候、そのとき一言の子細申し上げまじく候、後日のためくだんのごとし、

 

(大意)

   差し上げます一札

一、毎年このように仰せつけられているとはいえ、今後も念を入れてくださいますように。ご公儀様から割り付けられた御年貢の帳簿、わら銀・小物成銀ほかの負担の割り付け、さらには村の支出の負担の割り当てにいたるまで、その年ごとに、庄屋・組頭の立ち会いの下すべての帳簿を調べ、すべて明細の計算を終え帳簿類を引き渡しているので、不正はありません。もし後日色々と言い出す者が出たならばこの文書をご公儀様へ差し上げてください。そのとき何も文句は申しません。後日の証拠として書きました。

 

 

 

*1:負担の割り付け

*2:年貢の負担を村内で割り付ける帳簿

*3:わらや小物成として納める銀

*4:村や組合村の入用の負担銀

*5:その年ごとに

*6:帳簿類

*7:明細

*8:この文書と署名捺印

*9:一言の文句

*10:播磨国加東郡

*11:組頭